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2005.11.14

産経新聞・長野支局長遺稿

【信濃つれづれ】理解できない“康夫流政治感覚”

 「長野県知事やりながら国政の政党代表。県民益にかなう。改革を長野県から発信する。ハァ~、何いってるかわかんねえよ」

 最近、気に入りのお笑い芸能人のフレーズを使えば、こんな感じだろうか。国政の場で「新党日本」を党首として立ち上げた田中康夫知事への政治感覚は疑うばかりだ。

 なぜ、そう思うのか。まず、根本的な理由は、現在の選挙制度は議員を選ぶと同時に、首相を選ぶという意味合いがある。たかだか、「新党日本」は数人の政党ではあるが、自民党と民主党の当選議員の議員数が過半数以下で拮抗(きっこう)すれば、新党が新政権の帰趨を握る可能性もある。さらには、かつての日本新党の例もあるように、少数政党の党首が首相の座に就いたこともある。

 ところが、田中知事は国政選択という重要な岐路にありながら、自らは県知事というリスクのないポジションで、自らは辞任もせず、選挙にも立たず、党首として国政選択に影響を与えようとする。また、県知事と党首は両立できるとするが、党首として他都府県に遊説でもしていたときに、県内で大規模災害でも起きたときに県の最高責任者としてどう対処するのか。携帯電話で指示すれば済むとでも考えられているのか。どう考えても理解できない。

 さらに、小泉純一郎首相は今回の選挙を「郵政解散」と位置づけたが、郵政民営化について明確な田中知事の考えは発信されていない。「県民益」につながるというのも、どういう形で具現化されるのか。長野での改革を全国に、というのであれば、田中改革がどういう実績をあげたのかを具体的に示すべきではないだろうか。

 田中知事は小沢一郎民主党副代表や田中真紀子前衆院議員との親交、さらには、石原慎太郎東京都知事への共感を発言している。だが、この一連の田中知事の行動は、マスコミへの露出度アップ、さらには巷間ささやかれている政界でのステップアップのためのデモンストレーションのようにしか思えない。

 仮にそうなら、県民をバカにしないでほしい。前回のコラムでは反論をお願いしたが、ナシのつぶてだった。今回反論があるなら、ぜひお願いしたい。(長野支局長 松野康典)8月29日 産経新聞長野版

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田中知事が党首討論欠席は無責任

 有権者にとって政権選択の大きな参考の一つとなる党首討論会(日本記者クラブ主催)が二十九日、都内で開催された。自民、民主の二大政党激突ばかりが取りざたされるなか、両党いずれも過半数を獲得できない場合に、政権の行方を左右しかねない他党の党首・代表の発言を聞きたいと思われた方も少なくないはずだ。

 ところが、冒頭に「新党日本」の田中康夫代表(知事)は公務のため出席できません」との案内が司会者からあり、耳を疑った。田中知事の公務というのは、南牧村への天皇皇后両陛下のご視察に同行しての案内だった。これは、当然、最優先すべき公務だ。一方、田中知事は公務を優先させながらも、「党代表と県知事は兼務できる」とした。

 しかしながら、最長で今後四年間の日本の行く末を決定する選挙を前に、各党党首・代表が集う中、政党を代表する者として何も語らなかったのは無責任ではないか。

 こういうと、田中知事は日本記者クラブの日程調整に問題があったと反論するかもしれない。だが、選挙となれば公示直前に討論会が行われるのは常識だ。そうした情報収集、日程調整もできないトップというものには、空恐ろしさすら感じてしまう。

 また、重ねて田中知事に申し上げるが、各党首・代表は選挙結果では自らの進退をかけねばならない状況。だが、田中知事だけは〝安全地帯〟にいらっしゃる。

 土台、知事と党代表の兼務など無理な話であったことが、今回の討論会で露呈したのではないか。選挙公示を前にいずれかの地位を放棄されたらどうだろうか。(長野支局長 松野康典)

8月30日 産経長野版

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コメント

松野氏の切れ味鋭いコメントは学生時代から変わってないですね。残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: 髭親父 | 2005.11.25 00:47

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