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2007年7月18日 (水)

日垣隆の盗作事件を検証する

 本エントリーは、日垣隆氏の「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)上に発生した盗作問題を検証し、若干の事実経過を報告するためのテキストです。

ことの経緯
1.2001年9月19日「ぎりぎり合格への論文マニュアル」初版発行・平凡社新書・山内志朗著・現慶応教授
2.2006年11月30日「すぐに稼げる文章術」初版発行・幻冬舎新書・日垣隆著
3.2007年5月、小石川雑記ブログにて、日垣本に山内本からの盗作箇所があることが告発される。
4.2007年6月、日垣隆ヲッチャーの大石英司ブログに小石川雑記ブログよりトラックバック。
5.2007年7月、大石英司、当ブログに日垣本の盗作を検証する素材をアップ
6.同時に、一方の当事者である山内氏とコンタクト。
7.山内氏が盗作と認定、平凡社から幻冬舎へ抗議。

 結論を書きます。これは盗作です。盗用です。インスパイアされたとかのレベルをさっくり越えた実にあっけらかんとした盗用です。悪質さの度合いで言えば、かなり悪質な部類に入るでしょう。なぜなら、日垣氏の著作のこのパラグラフは、山内氏の著作なしには成立し得ないから。
 引用の分量としてどうなのか? という部分で、一定の議論はあるでしょう。私個人は、量の許容範囲としても、引用として許される分量を越えていると思います。それはどういう判断要素が入るかというと、たとえば、これを山内氏のオリジナルであることを本文中で明記した上で、紹介することが出来るかと言えば、無理だと思う。引用文として紹介するにも、業界内の暗黙知的分量の限界はあるわけです。ここまでならOKだけど、これはちょっと……、というボーダーが何となく存在する。それを相当逸脱していると思えるからです。批判や論証のための引用ならそれは拡大解釈されるけれども、そういう性格の論考でも無い。まさに山内氏の文章をリピートしただけのテキストです。そして、山内本なしにはこのパラグラフ自体が存在し得ない。逆に言えば、これを書くために、誰かの著作から引用するということを明記出来なかったから、盗用という形になってしまった可能性はある。
 つまり、行為の表現を和らげて、「無断引用」事件とするにも無理があるということです。もしこれをして「無断で引用してすみませんでした」で済めば、この世界は無断引用本だらけになる。これは悪質な盗作事件です。

 話が前後しましたが、事情が分からず、初めてここを訪れた方のために経緯を記します。これは、私が「小石川雑記」ブログからトラックバックを頂戴したことに端を発します。それは、日垣隆が他人の本から盗作している、という告発でした。

*小石川雑記
http://blog.goo.ne.jp/keisaburi/e/d271e8ffaaa6e1d6f421c6eb64a72b2d

 トラックバックを貰った時点では、正直、良く解らない……、というのが私の感想でした。しかし両者の著作を入手して読み比べた所、これは誰にでも解る明白な盗作だという結論を下さざるを得ない。
 微妙に改変された箇所はあります。たとえば山内本では↓

「~はバカだ → ~の見解には再考の余地が残る」

 と書いてある部分が、日垣本では↓

「小林はバカだ」(エッセイ)」→「小林の見解には再考の余地が残る」(論文)

 となって、山内本では「~」だった部分に「小林」という固有名詞が入っています。ただ、一読して解るのは、山内氏のこの本のテキストから、丸々移されたものが種本になっただろうということです。ただし、他にこれを種本にした本があって、それを孫引きする形になったのかも知れない、という疑いは残ります。それで盗作の罪が軽くなるわけではありませんが。

 それで、ここで初めて明らかにすることですが、私は、もう一方の当事者である山内氏の見解を聞きたくて、先週コンタクトを取りました。山内氏は今、慶應の教授をなさっています。私がコンタクトを取るまで、こういう事態が起こっているということをご存じなかった様子でした。それで山内氏は、日垣本を速攻入手し、これは盗作であろうという判断を下し、版元の平凡社が会社として幻冬舎に抗議することになりました。私がこの記事を今日まで引っ張ったのは、別に私が多忙だからではなく、それらもろもろの動きが水面下で進行していたからです。たぶん今週の幻冬舎はてんやわんやでしょうね。弁護士を経由しての抗議だと、もう少し時間が掛かるでしょうが。ただ、あまり詳しいことは書けないけれど、幻冬舎は今責任を取れる態勢が全くありません。果たしてどうなるのか。
 それで、山内氏の説明によると、このネタは偶に講義で使っていたネタであり、私のオリジナルです、類例は恐らく無いでしょうと。感想としては、そこは大人であり、アカデミズムのお人ですから、「悲しいですね」と……。
 私がもうひとつ悪質だなと思うのは、山内氏の著作は、論文ではないにせよ、やっぱり産みの苦しみはあるわけです。そこはわれわれフィクションの物書きが、ただ升目を埋める目的のためにだらだら長文を書き殴ったのを、誰かがコピーしたというのとは訳が違う。長い時間を掛けて、ツボを抑えて、学生の反応を見て推敲を経て、思索を深めた果てに、ああいう面白い対比や文章が完成するわけでして、それをさらりと盗用するのは、これは表現者のモラルとしていかがだろうかと思います。

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 問題は、何故にこのような事態に至ったか? です。私は、起こってしまった事態に、盗作してやろう、という日垣氏の明白な意思があったとは思いません。悪質ではあるけれども、悪意があったとは思えない(ま惻隠の情ね)。まず直接的な原因を探りましょう。
以下に掲載する文章は、日垣本のラストに4頁ある後書きの後半2頁分を文字起こししたものです。

【 さて、私が全文を書いて毎週配信している有料メルマガ「ガッキィファイター」の読者限定で、「すぐに役立つ文章講座」というものを東京都内で開催しました。そのときの私の話や、メモや、参加者からの質疑応答や、参加者が提供してくださったサンプル文をもとに、とても実践的な「全記録」が仕上がっていました。
 講座の参加者と、そして実践的な文章を提供してくださった方々に心から感謝申し上げます。
 その「全記録」を何度も何度も(!)書き直してくれたのはライターの荒井香織さんです。
 文章術の本であるにもかかわらず、話しているようになっているのは、私のせいではありません。冗談です。文章術の本を、話すように仕上げられたらと私が望んだのでした。

 ちなみに、完全な「語り下ろし」と言えるのは、何章かわかりますか?
 こんなところでクイズを出している場合ではありませんが、答えは、おそらく意外にも、第7章「文章で稼ぐための必読33冊」です。
 本書はそれらを核として、大幅に削除し改稿し加筆して、生まれ変わりました。メルマガで書いたものも一部収録されていますし、もちろん書き下ろした部分もたくさんあります。
 これらの「ちょっと多すぎる素材」を前に、ああでもないこうでもないと構成を考えているとき、第2章から第4章までを初級-中級-上級編に仕立てようと思い立ち、その後は一気に(半日くらいで)作業が進みました。初級や上級といっても、習熟度や経験年数のことではなく、あくまで稼げるかどうか、という一点に絞りました。

 それらの各論を、第1章と第5章のノウハウ的な総論で挟み、第6章だけはライター向けに実際やったQ&Aを、そして必読文献リストを付けよ(付けていただければ幸いです、かな)という幻冬舎の小木田順子さんの強い要請により第7章が成りました。】

1.まず変なのはここ↓。
【 とても実践的な「全記録」が仕上がっていました 】

 悪文の見本ですね。日本語の悪い所ですが、主語が無い。「仕上がっていました」。誰がいつ何を仕上げたのか? 曖昧。言いたいことは大凡解るにせよ、結果的に責任の所在が惚けている。あるいは意図的なのか……。後書きの前2頁から繋がっているのではないのか? と疑いを持つ方もいらっしゃるでしょうが、私が読んだ限りでは、そんなものはありません。

2.可能性としては、過去に読者らが日垣氏の元に持ち寄ったという資料にそれが紛れていて、出典云々を考えずに、それを採用したのかも知れない。しかし、不特定多数の読者に著作権の厳密な概念を求めるのはいささか無理があり、またこういう形でそれが将来商品化されるだろうことを読者は想定はしないだろう、ことを考えると、読者が誰かのテキストを孫引きする形でその場に提供しても、これは非難は出来ない、と思う。
 あるいは過去メルマガに紹介して書いたものを、その時は出典を認識していたけれど、いざこうしてペーパーにする段になったら、自分のオリジナルだと錯覚したのかも知れない。これはちょっと、彼のメルマガに検索を掛けてみないとはっきりしません。

3.「本書はそれらを核として、大幅に削除し改稿し加筆して……」

 たとえば、ここで言う「それら」を33冊の参考文献に限定すると、この33冊の中のどれかの著作物に、山内氏の著作からまるまる引かれたものが入っていて(それにしても他人の本を削除だの改稿だの加筆は拙いだろうからw、ここに連携は無いと見るべきか?)、日垣氏はそこから孫引きしただけ、という可能性は十分にあり得ます。ただ、参考文献はあくまでも参考文献であって、このような形での引用に関しては、逐一、誰それの本から引用する、ということを本文中に明記すべきだと思う。ひょっとしてこの本は、他人の本からの美味しい所取りですか?

4.一番肝心な問題は、いったいこの本は、実際は誰が書いたのか? です。「ライターの荒井香織」なる人物なのか? それとも日垣隆ご本人なのか? この荒井香織なる人物をググッてみると、有田氏のブログにも登場する。どうやら駆け出しのライターさんでは無いらしい。日垣本を読むと、恐らくは日垣氏本人が書いただろう箇所もあれば、日垣氏の普段の皮肉一杯の文体を離れて、無味乾燥且つ感情や著者の主観を排したパートもあって、これが日垣氏以外の人物の手によって書かれただろう部分を推察することも出来ます。問題のパートはどうか? となると、これはちょっと私には解りません。

 さて、間接的な原因です。日垣氏も作中に書いているように、今文筆家を取り巻く状況は非常に厳しいと思います。とりわけノンフィクションやジャーナリズムの世界は、取材に金だけ掛かって、まずリターンは見込めない。そんな中にあって、日垣氏は超売れっ子のライターと言っていいでしょう。何せビジネスクラスでネス湖観光に行けるご身分らしいから。遺憾ながら粗製濫造の極みにありますが。
 日垣氏は自分が抱えている締切をいつもメルマガに書いていらっしゃいますが、率直に言って真面目にその仕事量をこなすなら、その半分も無理でしょう。それだけではなく、彼はしょっちゅう海外にも出ている。その時間ロスを考えると、自分一人のワークロードでこなせる仕事量ではありません。
 人並み以上の稼ぎを得ようとすれば、いささかずっこい手法に頼らざるを得なくなりつつあるのが、今の文筆の世界であり、とりわけフリーランスのジャーナリストを取り巻く厳しい環境下できっちり儲けを出そうとすると、とてもまともな仕事をやっていては無理です。努力の結果として生活は出来ても、儲けは出ません。勝谷誠彦を見てごらんなさい。あれはとてもジャーナリストのあるべき姿とは呼べない。昨日言ったことをすぐひっくり返す。小判鮫みたいに無批判に政治家に癒着する。自分が所属している芸能プロダクションが暴力団とズブズブの関係にあることは全くのスルー。役所には説明責任を口汚く喚き立てるくせに自らはそれを果たさない。全ての出来事を陰謀だと喚き立てる。あれはテレビという無責任メディアが生んだ文筆家の最も醜悪な姿だと言える。日垣氏の場合、当然人の手も借りなければならないし、大量生産に拘れば、こういう仕事も増えてしまう。

 そういう状況自体は、彼の責任では無いけれども。横道に逸れますが、たとえば、まずは週刊エコノミストのコラムを紹介する目的で始まった私のこのブログですが、早々躓いてしまいました。
 あのコラムはあまりにもつまらない。ネタとして何の興味も抱けない。もう絶望的なまでつまらないし、時々、以前にもこのネタ書いたじゃない? とか、ついこの前は真逆のことを書いていたような気がするけれどなぁ、という内容も出てきた。しかしこれも実は彼の責任ではありません。日垣隆氏には、あのような経済誌の巻頭コラムを何年間も毎週書き続けるような見識も無ければ、知識のポケットも無いのです。にも関わらず、編集権によって首にされるでなし。
 週刊エコノミストが今や他の経済誌の後塵を拝する羽目になったのは、編集長が無能だからです。無能なサラリーマン編集長が順繰り人事で降りて来ては、仕事をせずに去っていくからです。社保庁と全く同じ構造があの経済誌にはある。ここが、それが会社の顔であり、クオリティを維持しなければならない週刊ダイヤモンド等と決定的に違う部分です。私はあんなコラムを任されている日垣氏を気の毒に思います。いずれにしても彼は、その仕事量と反比例して仕事が雑になっている。
 連載コラムなんてものは、偶にスマッシュヒットがあれば良いんです。それは私のブログにしても同様で、毎日面白いエントリーを書けと言われても困る。それは読み手と書き手の暗黙の合意としてたまのスマッシュヒットということで了解して欲しい、とブロガーとしての私は思っているし、たびたびそれは表明している。しかし、最近の日垣氏にはそれが全くないと断言できる。とりわけ「敢闘言」の現状は酷いの一言に尽きる。

 稼ぐためとはいえ、誰にも守るべき一線はあります。日垣氏のこの本(もはや著作とは呼べない代物です)は読むに値する内容なのか? 私は、小石川雑記氏ほど辛辣なことは言いません。もしこれが日垣氏個人の見識に基づく書物でなく、単に他人が書いたものの寄せ集めであるとするならば(事実として、どうもそのようですが)、そこにあるのは日垣氏の知見ではなく、他者の知見です。従って個々のパートは、それなりに読めます(~_~;)。決してつまらないというつもりはありません。
 ただし、本書のタイトルになっている「すぐに稼げる文章術」か? ということに関して言えば、何の役にも立ちません。今回の盗作で問題となっている箇所など、論文の書き方を今更マスターしても仕方ないでしょう。論文との違いを説明されても仕方ない。これから車を運転しようという人に、飛行機と自動車は違うんだよ、と説明するようなものですから(逆に、論文を書こうという人に、飛行機は自動車とは違うのだよ、と教えることには意味がある)。それに、作中にある「ネットで生き残る知恵」としてブログ炎上に関する項目がありますが、ぶっちゃけここは他人の災難を嗤っているだけで中身は無いし(ブログ炎上の意味する所の理解が浅薄)、彼が以前余所で書いたテキストの再録に過ぎないし、章自体が、「稼ぐ文章術」のスキルとして何かが身に付くという類のものでもない。せいぜい地雷は踏むな、という警句がそこにあるだけです。仮免ドライバーにドリフト走行の危険性を説くことにさして意味は無い。私が担当編集なら、この項目は丸々削除させます。
 あえて言えば、この本は編者としての日垣隆氏が、メルマガ・ネタの使い回しと他人の本から美味しい所取りして、しかも他人に書かせて、口述筆記も白状し、日垣隆氏自身が「いかに楽して荒稼ぎできるか」本を出しました、という内容であって、自分の知見を元に、誰か他者にその知識を素早く分け与えるものではありません。
 後書きに「文章術の本だ」とありますが、日垣氏は、希に見る悪文書きの名手です。何故か平易なことを小難しい言い回しで書いたふりをするのが好きなお人です。ただそれ自体をして批判する気はない。悪文はある種の個性であり、頭の体操と割り切ればたまには悪文に付き合うのもまた楽しいものです。しかしお世辞にも、彼から文章術を得ようなどというのはナンセンスです。酷いギャグとしか思えない。

 今後、本件はどういう展開を辿るかですが、幻冬舎としては、突っ張って争ってどうなるものでもありませんから、先方には(表向き)「絶版と回収」を表明することになるんでしょう(でもきっとそれは、ネットの中で話題になり、在庫が掃けるまで果たされることは無いと思う)。ここで突っ張って、著者や平凡社が態度を硬化させて記者会見でも開かれたら会社の信用問題になる。ましてや訴訟とかになったら困るでしょう。日垣氏は裁判の当事者になりたくてうずうずしてらっしゃるみたいですが。
 書店に行けば解りますが、まだまだ新興出版社の幻冬舎は、この新書シリーズにもの凄く力を入れています。そこで盗作騒動が起きたということになれば、棚の信用自体を毀損することになる。できれば裁判や新聞沙汰は避けたい。もちろん、盗作箇所もここだけとは限らないわけで、まともな編集者なら、他にも、別人からの盗作箇所があることを前提にことを進めざるを得ませんから。難儀な話ですけれど、執筆者を掴まえて「他にはありませんか?」と質さなければならない。
 日垣氏的には、彼のお気に入りのフレーズを使うなら、「使ったゴーストライターのレベルが低かったようですね(笑)」、ということになるんでしょうが、一番無難な収め方は、「ゴースト」というフレーズは使わずに、「下調べをさせたうちのライターが粗相をしまして……」という形にするのが、ダメージが一番小さくて済む。あの人のことだから、他にソースを用意して来て、貴方からパクッた訳では無い、と反論する可能性もあるけれど、ここで難しいのは、もしソースの議論になったら、山内本の方が5年早く出ているわけですから、そんなに勝ち目は無い。どこかに日垣氏自身が、それ以前に自分の著作活動としてどこかで書いていたということを証明できないと。それとて、それ以前に山内氏の学生だった人物の受講ノートに、メモが残っているかも知れない。何より、自分以外にソースがあること自体が盗作を意味する。
 残る問題は、これが新聞等のニュースとしてネットの外に出るか否か、それだけでしょう。通信社にでも垂れ込もうか、と思ったけれど、自分でネタを獲る意欲もない連中にあれこれ説明するのは面倒くさいので止めました。

雑記
1.
私はこの件で日垣氏を批判であるとか非難する気は全くありません。別に悪意は無かったでしょうから。彼のように、三度の飯より忙しさを自慢するのが大好きな人にはありがちなことです。起こるべくして起きたと言える。私はただ、ここにこういう事実があるということを記録として書き残すだけです。
 たとえば、過去に私が暴いた議事録流用事件グリーン車事件等(←興味がある人は自分でググッてね)を見ても(彼はそれらに関して、とうとう何らまともな説明をすることは無かった)、日垣隆という人は、お世辞にも職業モラルに秀でた人ではありません。個人の名誉に関わることでそれは嘘っぱちだと指摘してあげても訂正記事ひとつ出しゃしないしぃ
 ただし、私にとっては、彼に職業倫理があるか否かはどうでも良いことです。私自身、人にモラルを説けるようなたいそうな人間でもありませんし(でも盗作は普通しませんわな)。
 恐らく、日垣氏自身、今回のことに関しては、ちょっとした接触事故という程度の認識しか無いでしょう。警察呼ぶほどの事故じゃないだろう、と。そもそも罪の意識も無い。ま、あの人はそういう、期待通りの人で良いんですよ(~_~;)。ただ、私のことは恨まないで欲しいですね。これは私が発見して告発したわけではありませんから。私が黙殺しても、いつかは相手方著者の耳に入っていたことでしょう。それが先週だったか、半年後だったか? それだけの違いです。

2.盛んに、なぜ大石は日垣隆に粘着するのだ?(四半期放置状態のブログをして粘着とはこれいかに?)、という私に言わせりゃどうでも良い話をする匿名集団が後から後からネットのいろんな所に湧いて出るんだが、何がそう不思議なんでしょうね。日垣先生も、私が長野県政に興味を持っていることをして、田中康夫に個人的恨みがあるからだ、という実に下らん妄想に嬉々として飛び付いてらしたけれど(変だよねぇ。日垣さんだって、佐高信に噛み付いたじゃん。あれはストーカー行為なのか? 個人的な恨みがあってやったことなのか?)。あの時は本当にがっかりしました。こうまでセンスの無い薄っぺらな男がジャーナリストを名乗っているのか? と愕然としました。面白そうだから飛び付いたまでという、メディア人が身につけるべき野次馬根性を日垣先生はお持ちで無いのでしょうか? 自分のはただの商売だ? ああそうですか……。
 日垣隆という人は、なかなか猜疑心の強い人で、その辺りは私も全く同様で、ジャーナリストとしては誉められるべき性格ですが、しかし彼は、ご自身の経験上からでしょうか、人間は損得勘定と怨恨でしか動かないものだと誤解してらっしゃるふしがある。しかし、人間を人間たらしめるものは、あくなき「好奇心」です。人間を突き動かすには、ささやかな好奇心があれば十分です。
 私は単なるやじうまです。そして若干、天の邪鬼な野次馬です。私に何らかの行動原理があるとしたら、「王様は裸だよ」と指さすことが好きだということくらいです。

3.私が今回の一件で一番腹立たしく思っているのは、日垣氏に対してではありません。この問題が小石川雑記ブログによって暴露されたのは、今年の5月19日のことです。私がそこからトラックバックを貰って、そういう出来事があったらしいと知ったのは6月半ばです。ほぼ一ヶ月後のことでした。私はその時、地球の反対側にいて毎日の睡眠時間が3時間で過酷な肉体労働に従事していたので、正直何のことか良く解らなかった。更に読者から催促されて私のブログで取り上げたのは、7月10日の話。そして今日です。
 呆れます。私はひたすら、ネットワーカーという無責任にしていい加減なネットイナゴどもの不勉強さに呆れます。君らに物言う資格など微塵もない。
 この一ヶ月、ネット上で何が起こったか? その両者の著作を入手して自ら検証して意見を表明しようとしたネットワーカーはただの一人もいなかった。ただの一人もです!? これが10年前のパソ通時代なら、あっという間に噂は広まり、百人が百人書店に走って、自分の眼とセンスで、それを確認して物言おうと躍起になっていますよ。何か与太なことを書こうものなら、「それで君は両者を読んだんだな?」の一言で駆逐されていた。2ちゃんねるのお陰で、日本人の知性は崩壊した。プライドの欠片も無いネットイナゴの集団が増殖を繰り返して、大地の実りの知識を根絶やしにしていく。

 この二冊、アマゾンコムで買えば、古本としてなら二冊で500円もしないんですよ。三日で届く。私は10日の時点で、ぜひ皆さんも自分で本を入手して判断してくれ、と書いた。なのに、誰もたったそれっぽっちの努力すら払わない。その一方で、日垣ファンを自称する連中は、ニュースサイトで、私が粘着してどうのこうのと明後日な話題逸らしに励むし、日垣氏に対して事実関係を照会したのか? とか。おいおい、それを照会する相手は日垣氏では無くもう一方の当事者の山内氏が先でしょうが? 盗作か否かは、最終的には、一方の当事者が盗作されたという認識に至るか否かでほぼ決まるんですから。
 今日まで、実際にそれを入手することなく、小石川雑記でブログーオーナーに批判めいたことを書いたり、私がどうのこうのと話題逸らしに励んでいた連中の卑しさには呆れかえる。この連中は人間の屑です。日垣氏の周囲に、この手の度し難い悪質な取り巻きやファンと称する連中がいることを私はとても気の毒に思う。君らは人前で物言う資格などない。盗作より遙かに悪質な行為であり、悪意ある集団だと表明させて貰う

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コメント

先生、日垣盗作本が なんと増刷!だそうです。著者や版元は何をやっているのでしょうか? 許せません!

投稿: ino | 2008年11月 3日 (月) 16時29分

 私は事実をもって話をしているつもりですが、それをして東スポ以下とはまた結構な言われようですね。

 それに私は真剣にお話しをしているつもりですが、突然「(笑)」を連発するようになったのは単なる敗北宣言のようにしか見えません。貴方の文章に、笑える要素は何もありません。
 さらに、私は何ら誹謗中傷はしていません。逐一事実をもって語っています。揶揄や皮肉に関しても、普段の日垣氏のそれを越えるものでは何らありません。

 こういう所に現れて、真剣にお話しをする意思がないのであれば、速やかにお引き取り下さい。最初に書いたように、やはり貴方は、こういう場で誰かと議論する資質に若干欠けていると思われますので。

投稿: 大石 | 2007年7月27日 (金) 16時19分

(さらに続き)
> あれは参考文献所か、何故に文章術を説く本で「必読」として紹介されるべき本なのかすら私にはさっぱり解りません。

はあ、それは貴殿の所感ですからどうぞご自由に。
しかし、「「参考文献」33冊のいいとこどりをしているとおっしゃるのは?です。なにをもってそのようなことをおっしゃるのかわけがわかりません。フィクションでは参考文献はいいとこどりをするためのモノなんでしょうか?」という前回の問いには如何ですか? いや、別に返答したくないとおっしゃるなら、こちらは全くかまいませんが、これぞ「言い掛かり」だと思ったもので。何の根拠も記されていませんからねえ。

> 率直に申し上げて、貴方は盗作に関して、某か確固とした定義をお持ちのようには全く思えません。貴方に一貫している論理。即ち、引用元を記すべきであったが盗作ではない、という矛盾した論旨、読者が決めれば良い、とする開き直りの論理にそれは明かだし、こちらはとうの昔から、名誉毀損に問われるリスクがあることを前提に発言しているにも関わらず、わざわざそんな脅し文句を使う辺りの陳腐さを見るに、そう判断せざるを得ません。

いやいや、自分は盗作に関して確固たる定義がないのかなあと思ったもので、どうぞ貴殿が深めて教えてくださいと思ったんですよね。確固とした定義を持っていない自分からすると、現時点で「盗作」と断じるのは難しいなあ。
ただし、「読者が決めれば良い、とする開き直りの論理にそれは明らかだし」の「それ」は文章的には「貴方は盗作に関して、某か確固として定義をお持ちのようには全く思えません」を指しているようですが、一言もそんなこと言ってませんぞ。読者が決めれば良いと言っているのは、メルマガの話です。文章の専門家でしょう?これは貴殿風に言えば「悪質な」言い掛かりですよ(笑) 別にどうでもいいですが。
あ、あと脅してなんかいませんよ。脅しても自分には一銭の特にもならないのに、そんな恐喝するわけないですよー。
ここまで他人を誹謗中傷する貴殿がインターネットメディアを既存のメディアと比較してどのように位置づけていらっしゃるのか知りたかったので言ったまでです。よーくわかりました。
以上です。お疲れさまでした。

投稿: うーむ2-3 | 2007年7月27日 (金) 16時04分

(続き)
 われわれが暮らす社会、様々な業界には、守るべき一線があって、それは法律で細部まで決められているわけではありません。それは一般的にはモラルであるとか、良識常識と言われる。

はあ、その通りだと思います。もちろん、日垣氏もご自身のモラルに基づいてやってらっしゃると思いますよ。有料であるならば、読者は対価を支払って情報を買うわけで、それに見合った内容がないと、雑誌でもなんでも、授業料を払ったのだと自分に言い聞かせて過ちを繰り返さないようにしますよね。それをあの編集長、あの執筆者は詐欺行為をしたと騒ぎ立てている人がいると、自分はちょっとついていけないというかオバカさん?と思ってしまいます。いや、モラルが低いので「普通の人」は違うのかもしれませんが(笑)
まあしかし、貴殿は論理の飛躍というか、すごい極端なことをおっしゃいますなあ。「殺人だって、許容すれば咎められることは無い。偽装牛肉だって云々」には驚愕しました。

>たとえばここに詐欺行為があったとして、被害者は詐欺だと認識しているのだけれど、加害者側がのらりくらり逃げ回って口を噤んでいる状況では、第三者は何も言うべきで無いのでしょうか?
「どうなるかわからない」。全ての問題は、最終的には、裁判に訴えて判決が確定しない限り、「どうなるかわからない」ものです。そしてそのどうなるかわからない状況下で、当事者のみならず外野があれこれ言うことは、常に名誉毀損を問われるリスクを負っています。それは当たり前のことです。

いやあ、名誉毀損に問われるリスクを負ってのご発言はある意味立派だと思いますが、まあ、「東スポ」でも小さく「?」くらいはつけると思いましたもので。モラルを語り、ネットメディアの重要性を認識していらっしゃる貴殿が、「東スポ」以下とはこれ如何に。モラルが低い自分の価値観から見ますと、貴殿のモラルが低く見えてしまってわけがわからなくなってしまいました(笑)

投稿: うーむ2-2 | 2007年7月27日 (金) 16時02分

再びどうもこんにちは。

>貴方はあれを書いた時点では、間違いなく、マスコミがそれを判断するだろう、マスコミに出ないから無価値だという考えを表明されたとしか理解しようがありません。

それはそれは失礼しました(笑) まあ、そう思われるならご自由ですが、貴殿がこの項の「本文」(雑記は本文ではないでしょうからね(笑))の最後の最後に「通信社にでも垂れ込もうか、と思ったけれど云々」と書いていらっしゃるので、まさか嫌味がわからないとは思えずつい。通信社に垂れ込もうかとおっしゃったのは、貴殿なんですよ(笑) 通信社に評価させ、ネットの外にニュースが出るか否かが問題だ、と既存のメディアにおもーくもたれかかっているのは貴殿なのですよ(笑)
「間違いなく」理解しようがありません、とおっしゃるのを読んだ読者の方は驚かれる方もいると思います。というか、小学生にこの嫌味は何を指すか、と問題を出しても答えられるのではないかなあと私なんかは思いますが「間違いなく」とは申し上げません(笑)
まあ、四の五の言ってないで垂れ込んでみればいいじゃないですか(笑)

> そういう経緯の中で、こちらが何を説明しても、貴方は「それは読者が決めればいい」と、オウム返しにお書きになる。たぶん5、6回それを書いてらっしゃる。それは私の感覚では、単なるたちの悪い「開き直り」です。

これは失礼。開き直りというか、自分は自分のモラルに基づいて言っているのですが、まあいいでしょう。貴殿から見れば、モラルが低いということなんでしょうから。
貴殿が「その手の開き直りをする人々にも、判断材料を提供することだと思っています」という(たぶん意味としては、その手の開き直りをする人々がいる中で、良識のある読者に判断材料を提供する、だと思いますが)使命感に燃えていらっしゃるということはよくわかりました。

投稿: うーむ2-1 | 2007年7月27日 (金) 16時00分

 あの人はでもその時に立松和平に「作家であることをやめるべきだ」とまで迫っているしなぁ。
 ちなみにそれを書いた敢闘言の文庫版余録では【間違いは誰にでもある。だから問題は、「言い訳」がどうなされるか、で決まる。】と書いている。

 自分のことに関しては、言い訳とかするつもりも無いらしいけどね。

投稿: 大石 | 2007年7月27日 (金) 12時33分

かつて日垣氏に盗作を実証的に指摘された立松和平氏は、それ以前と変わらず作家業およびその周縁的な講演業その他に従事されておられ、でも日垣氏は立松検証ブログなんか作んなかったけどな。

投稿: | 2007年7月27日 (金) 12時13分

>ああ、すみません。言葉足らずだけれどこれは、いわゆるひとつの嫌味でして。<

 それが皮肉的なニュアンスを含むことは解りますが、前後の文章の流れからして、それを単なる皮肉だと解釈するのは全くもって不可能です。貴方はあれを書いた時点では、間違いなく、マスコミがそれを判断するだろう、マスコミに出ないから無価値だという考えを表明されたとしか理解しようがありません。それをして、後になって彼らは信用していないと言われても困ります。これをして「言葉足らず」だったと書かれてもとても真に受けられない。

>それは読者が決めればいいかと。前回書いたように、詐欺だと思えば購読をやめればいいのです。<

 私たちの業界に限らず、どんな職種にも遵守すべきモラルがあって、たとえばこの議事録の件に関して言えば、彼はこれで相当の信頼を失いました。長野県民からもメルマガの読者からも。貴方が「読者が決めればよい」と仰るのはご自由ですが、彼は実際この件で読者の信頼を損ねました。
 あなたが仰るような論理がまかり通るとすれば、読者(の一部)が許容すれば、われわれは何をやっても構わないことになる。日垣氏のメルマガの読者の中でも、全く構わないという人は当然いらっしゃるでしょう。許せないことであるけれど、購読を止めるつもりは無い、という人もいる。むしろそれが大勢。
 ただひとつ言えることは、私がそれを暴いたことで、日垣隆という人物を評価する上でのひとつの材料が提供されたわけです。日垣氏ご自身も、その後の対応をみると、それが誉められた行為でなかったという認識は十分にお持ちであったことが窺われる。
 そういう経緯の中で、こちらが何を説明しても、貴方は「それは読者が決めればいい」と、オウム返しにお書きになる。たぶん5、6回それを書いてらっしゃる。それは私の感覚では、単なるたちの悪い「開き直り」です。殺人だって、被害者が許容すれば咎められることは無い。偽装牛肉だって、それで構わない消費者がいれば、咎めるべきことではない、という論理も成り立ってしまう。貴方の論理に従うなら、原発のトラブルだって、地域住民が決めれば良いことでしょう。でも誰かが判断材料を提供する必要がある。それはマスコミであったり、私のようなネット上の個人であったりするわけです。読者が決めれば良い、で済めば、誰も何も監視する必要はないし、物言う必要もない。ファンが許容するなら、盗作し放題ですよ。
 われわれが暮らす社会、様々な業界には、守るべき一線があって、それは法律で細部まで決められているわけではありません。それは一般的にはモラルであるとか、良識常識と言われる。ある種のペテン行為をして「読者が構わなければよし」という意見を表明する自由があることに留意しますが、私自身は、それは良くないことだ、ということを常に表明させて貰います。そして私の役割は、その手の開き直りをする人々にも、判断材料を提供することだと思っています。

>その結果も出ぬうちに盗作だと騒ぎ立てるのは、名誉毀損の恐れもあるのでは? 元本の著者が盗作だと言っておられるとしても、どうなるかわかりませんからね。<

 この問題に関係している当事者は、日垣氏&幻冬舎、山内氏&平凡社の4者です。その内の2者はすでに「盗作である」という認識をもって動いています。
 貴方にとって、「結果も出ぬうち」というのは、どういう状態を言うのでしょうか? たとえばここに詐欺行為があったとして、被害者は詐欺だと認識しているのだけれど、加害者側がのらりくらり逃げ回って口を噤んでいる状況では、第三者は何も言うべきで無いのでしょうか?
 「どうなるかわからない」。全ての問題は、最終的には、裁判に訴えて判決が確定しない限り、「どうなるかわからない」ものです。そしてそのどうなるかわからない状況下で、当事者のみならず外野があれこれ言うことは、常に名誉毀損を問われるリスクを負っています。それは当たり前のことです。

>あの書籍のラインナップを見れば、参考文献でないとわかるのでは?

 あれは参考文献所か、何故に文章術を説く本で「必読」として紹介されるべき本なのかすら私にはさっぱり解りません。一般的な書評選としてなら、確かに好著も並んでいるけれど、自分の本があったり、幻冬舎の社長に媚びを売ってみたり、果たして文章術を説く本としてこれらがどれだけ相応しいか疑問に感じること大です。

>せっかくだから「盗作」の定義を深く思索されてはいかがでしょう?

 率直に申し上げて、貴方は盗作に関して、某か確固とした定義をお持ちのようには全く思えません。貴方に一貫している論理。即ち、引用元を記すべきであったが盗作ではない、という矛盾した論旨、読者が決めれば良い、とする開き直りの論理にそれは明かだし、こちらはとうの昔から、名誉毀損に問われるリスクがあることを前提に発言しているにも関わらず、わざわざそんな脅し文句を使う辺りの陳腐さを見るに、そう判断せざるを得ません。

投稿: 大石 | 2007年7月27日 (金) 11時57分

(さらに続き:すみません、長すぎて送信できず途中で切れたので全部で3コメントですが、文字化け分がだぶってしまいました。失礼)

>新聞とネットは違います。新聞がお役所の議事録を掲載するのは、議事録へのアクセスに物理的な制約が伴う読者が大勢いるからです。でもネットの世界は違います。ネット上で公開されたものは、誰でもアクセスできる。そこへのリンクを貼れば済むことです。
いや、そういう意味ではネットで議事録を読めるようになって、誰でも意志があれば自分で一次資料に当たれて、大新聞社の偏向報道にのせられないですみますからいい時代です。でも、「意志」がないと存在にすら気づかないわけですよね。そこは新聞でもネットでも同じですよ。それが編集の目によって、見るべきものだと提示されるわけじゃないですか。リンクを貼ったらいいという意見はわかりますが、自分なんかはメールでまとめて送ってもらったほうがありがたいですがね。

>日垣氏は、それがすでに公開状態であることを秘し、旅行中の穴埋めとして、それをメルマガの連載形式で配布しました。私が暴いてから、慌てて、それがすでに公開され、誰でもアクセスできることを記しましたが。
じゃあ、よかったですね。でもメルマガ詐欺でしたっけ? それは読者が決めればいいかと。前回書いたように、詐欺だと思えば購読をやめればいいのです。

> 私自身、有料のメルマガを配信している者として、日垣氏が行った行為は、著しくモラルに反する行為だと思っています。少なくとも私はしません。そういうことをしたら、私の読者は怒ります。
いや、だから購読をやめればすむ話ですから。自分は見ていませんが、日垣氏が出席されていた議事録なんですよね。だったら、日垣氏の考え方、捉え方を見せるというのは、読者にとって納得がいく話なのでは? 納得いかないならやめればいい。

>私は日垣氏を擁護するコメントを大歓迎します。通信社云々の部分から察するに、他者や権威への依存心の強い方だとお見受けしますが、こういうことをお書きになるのであれば、そもそも貴方は人前で物を言うべきでは無いと思うのですが。 
通信社云々を言った主旨は今回の返信でご理解いただけたかと思います。が、「こういうことをお書きになるのであれば、云々」の「こういうこと」とは通信社云々のことですか? 自分が人前で物を言うべきかどうかはどうでもいいんですが、せっかくだから「盗作」の定義を深く思索されてはいかがでしょう?よく知らなくて申し訳ありませんが、著名な作家の方なのですよね。せっかく深い洞察力があるのでしたら、「盗作」の定義の発信とかそういうところに力を発揮しつつ、当事者間の判断を待って、断じるのが適当かと。 以上です、お疲れさまでした。

投稿: うーむ3 | 2007年7月26日 (木) 22時35分

(続き)
>通信社に垂れ込んで、何が解ると仰るのでしょうか? それは通信社云々ではなく、まずは引用された学者個人へ問うべきことでは無いですか? あるいは平凡社、幻冬舎へ。それとも貴方にとっては、通信社が相手にしてくれる、つまり報じる報じられないが、ことの正邪、善悪、正誤を判断する基準になっているのでしょうか? だとしたらとても驚きです。
ああ、すみません。言葉足らずだけれどこれは、いわゆるひとつの嫌味でして。貴殿が通信社にでもたれ込もうかと思ったけど、自分でネタをとる気もない奴らにそんなことするのはやめたというようなことを書いてらっしゃったもんで。書いてませんでした? 
ちなみに自分は通信社、大新聞社を全く信用しておらず、「産む機械」発言一つをとっても、言葉尻をもてあそんで報道するようなメディアは頭がおかしいと思っております。ですが、たれ込もうと思うのでしたら、四の五の言わずたれ込んでみたらいかがでしょうかと。それだけです。

>ではこのフレーズは、その後に続く「ベスト云々……」も何も、その肝心の引用元が無いということで終わりですね。
そうですね。引用元を記すべきだというのが自分の考えです。

>ここは何故に日垣氏がそれを参考文献ではなく必読書と記したのか? にも一つの鍵があるでしょう。「必読書」という表現をある種の逃げにした可能性は大いにありで、本来なら参考文献とすべきであった可能性もある。なお、私は文筆家のはしくれとして、口述筆記をして「本文」などと言われることには抵抗があります。あれは、単に頁を稼ぐための酷い無駄遣いです。本来なら、巻末に余録として小文字や欄外に付け加えるべきことです。
いや、あとがきにコトの経緯が書いてありますから。編集者があったほうがいいとの判断から要請したと。それを読まなかったとしても、あの書籍のラインナップを見れば、参考文献でないとわかるのでは? 口述筆記でも本文に入っていたら「本文」です。もちろん、著者は手を入れるでしょうし。そんなことを言い出したら、名著と言われるものでも「本文」全くナシになるもの、ありますよ(笑) まあでも貴殿があれが紙の無駄遣いで、巻末におさめるべきものだとおっしゃるのは貴殿の考えですから自由です。ですが、「参考文献」33冊のいいとこどりをしているとおっしゃるのは?です。なにをもってそのようなことをおっしゃるのかわけがわかりません。フィクションでは参考文献はいいとこどりをするためのモノなんでしょうか?

>仰るように、「読み手が面白いという文章はどういう文章かというかなり難しいテーマを扱う」には、いささか荷が重すぎたという評価しか私は持ち得ません。
まあこれは読者が個々人で決めればいい話ですから。

投稿: うーむ2 | 2007年7月26日 (木) 22時30分

(続き)
>通信社に垂れ込んで、何が解ると仰るのでしょうか? それは通信社云々ではなく、まずは引用された学者個人へ問うべきことでは無いですか? あるいは平凡社、幻冬舎へ。それとも貴方にとっては、通信社が相手にしてくれる、つまり報じる報じられないが、ことの正邪、善悪、正誤を判断する基準になっているのでしょうか? だとしたらとても驚きです。
ああ、すみません。言葉足らずだけれどこれは、いわゆるひとつの嫌味でして。貴殿が通信社にでもたれ込もうかと思ったけど、自分でネタをとる気もない奴らにそんなことするのはやめたというようなことを書いてらっしゃったもんで。書いてませんでした? 
ちなみに自分は通信社、大新聞社を全く信用しておらず、「産む機械」発言一つをとっても、言葉尻をもてあそんで報道するようなメディアは頭がおかしいと思っております。ですが、たれ込もうと思うのでしたら、四の五の言わずたれ込んでみたらいかがでしょうかと。それだけです。

>ではこのフレーズは、その後に続く「ベスト云々……」も何も、その肝心の引用元が無いということで終わりですね。
そうですね。引用元を記すべきだというのが自分の考えです。

>ここは何故に日垣氏がそれを参考文献ではなく必読書と記したのか? にも一つの鍵があるでしょう。「必読書」という表現をある種の逃げにした可能性は大いにありで、本来なら参考文献とすべきであった可能性もある。なお、私は文筆家のはしくれとして、口述筆記をして「本文」などと言われることには抵抗があります。あれは、単に頁を稼ぐための酷い無駄遣いです。本来なら、巻末に余録として小文字や欄外に付け加えるべきことです。
いや、あとがきにコトの経緯が書いてありますから。編集者があったほうがいいとの判断から要請したと。それを読まなかったとしても、あの書籍のラインナップを見れば、参考文献でないとわかるのでは? 口述筆記でも本文に入っていたら「本文」です。もちろん、著者は手を入れるでしょうし。そんなことを言い出したら、名著と言われるものでも「本文」全くナシになるもの、ありますよ(笑) まあでも貴殿があれが紙の無駄遣いで、巻末におさめるべきものだとおっしゃるのは貴殿の考えですから自由です。ですが、「参考文献」33冊のいいとこどりをしているとおっしゃるのは?です。なにをもってそのようなことをおっしゃるのかわけがわかりません。フィクションでは参考文献はいいとこどりをするためのモノなんでしょうか?

>仰るように、「読み手が面白いという文章はどういう文章かというかなり難しいテーマを扱う」には、いささか荷が重すぎたという評価しか私は持ち得ません。
まあこれは読者が個々人で決めればいい話ですから。

>新聞とネットは違います。新聞がお役所の議事録を掲載するのは、議事録へのアクセスに物理的な制約が伴う読者が大勢いるからです。でもネットの世界は違います。ネット上で公開されたものは、誰でもアクセスできる。そこへのリンクを貼れば済むことです。
いや、そういう意味ではネットで議事録を読めるようになって、誰でも意志があれば自分で一次資料に当たれて、大新聞社の偏向報道にのせられないですみますからいい時代です。でも、「意志」がないと存在にすら気づかないわけですよね。そこは新聞でもネットでも同じですよ。それが編集の目によって、見るべきものだと提示されるわけじゃないですか。リンクを貼ったらいいという意見はわかりますが、自分なんかはメールでまとめて送ってもらったほうがありがたいですがね。

>日垣氏は、それがすでに公開状態であることを秘し、旅行中の穴埋めとして、それをメルマガの連載形式で配布しました。私が暴いてから、慌てて、それがすでに公開され、誰でもアクセスできることを記しましたが。
じゃあ、よかったですね。でもメルマガ詐欺でしたっけ? それは読者が決めればいいかと。前回書いたように、詐欺だと思えば購読をやめればいいのです。

> 私自身、有料のメルマガを配信している者として、日垣氏が行った行為は、著しくモラルに反する行為だと思っています。少なくとも私はしません。そういうことをしたら、私の読者は怒ります。
いや、だから購読をやめればすむ話ですから。自分は見ていませんが、日垣氏が出席されていた議事録なんですよね。だったら、日垣氏の考え%E

投稿: うーむ2 | 2007年7月26日 (木) 22時29分

どうも。返信遅れてすみません、なんだか送信に失敗してまして。

>ではどういうのを盗作と言うのでしょうか? これが盗作で無いというのであれば、盗作の定義の議論から始める必要があると思いますが。
いや、そう思いますよ。だから書いたのであって。盗作の定義が必要なのではと。
自分としては、オリジナルな表現、もしくは独創的な視点、思考が含まれていると見てとれるものを自分の著作に一部、または全部を使用するというのが盗作だと思っています。
貴殿もおっしゃっているように「それは通信社云々ではなく、まずは引用された学者個人へ問うべきことでは無いですか? あるいは平凡社、幻冬舎へ。」ということだと思いますよ。その結果も出ぬうちに盗作だと騒ぎ立てるのは、名誉毀損の恐れもあるのでは? 元本の著者が盗作だと言っておられるとしても、どうなるかわかりませんからね。

> 「引用落ち」という言葉の意味を教えて下さい。Google で「引用落ち」というフレーズで検索すると7件ヒットしますが、どれも文意があるようには思えません。
 所で、盗作事件が発生する度に、それをやった側はしばしば「無断引用」という言葉に言い換えしますが、これは単なる欺瞞に過ぎないことには同意頂けますでしょうか? それとも無断引用と盗作や盗用は明確に違うというお考えをお持ちでしょうか?
ああ、すみません。自分は「引用元落ち」と書いたのですが、「引用元を明記するのが落ちている」と書くのが長かったので縮めただけです。流れでわかるかなあと。従ってググっても出てこないでしょう。
「無断引用」という言葉はどうも嫌いですね。引用する必要がある箇所に関しては引用であることを記せば特に著者に断る必要がないですからそもそもが「無断」なんですよね。新聞社とかがおどろおどろしくするために作った言葉なんでしょうかね。ですから自分は「引用元落ち」だと言うのがよいかと(笑) 盗作や盗用と違うか、と聞かれれば自分は違うと思います。でもだからと言って、無断引用していいという議論ではありませんよ。もちろん。

>リスペクトとは、その元作品を明示せずに済む免罪符を与えるものでは何らありません。
その通りだと思います。貴殿も言ってらっしゃるように悪意のある類には見えませんし、それでなぜこの部分を使わねばならなかったのかが不思議委なので、、推測しただけですから、リスペクトかどうかは知りませんが。

投稿: うーむ | 2007年7月26日 (木) 22時26分

>盗作盗作と言ってらっしゃるようですが、こういうのは盗作と言わないのでは? 引用元を記すべきだとは思いますが。それをもってして、盗作と断じてもピンとこないと思いますよ。<

 ではどういうのを盗作と言うのでしょうか? これが盗作で無いというのであれば、盗作の定義の議論から始める必要があると思いますが。

>引用元は教科書的にわかりやすく書いてあるけれど、この本では特にあのような例文でなければならなという必然性がないので、使うとすれば別の例文を作ればすむ話です。論文とエッセイの違いくらい日垣隆さんが書けないはずがないでしょうから。にもかかわらずオリジナルを使っているのだから、この著者をリスペクトしたうえでの引用元落ちでしょうね。<

 全体的に仰っていることの主旨が解りづらいのですが、別の例文を作れば済む話なのに、それが無かったことは、リスペクトした上での引用落ち?
 「引用落ち」という言葉の意味を教えて下さい。Google で「引用落ち」というフレーズで検索すると7件ヒットしますが、どれも文意があるようには思えません。
 所で、盗作事件が発生する度に、それをやった側はしばしば「無断引用」という言葉に言い換えしますが、これは単なる欺瞞に過ぎないことには同意頂けますでしょうか? それとも無断引用と盗作や盗用は明確に違うというお考えをお持ちでしょうか?
 言い尽くされたことですが、リスペクトとは、その元作品を明示せずに済む免罪符を与えるものでは何らありません。それにリスペクトと言うからには、元作品を越える何かのプラス・アルファがあるべきだと思いますが、私が読む限りにおいては、そのようなものは何らありません。これはこの本全般に言えることですが、参考にされただろう人々の著作を越えるものがこの本にあるようには全く思えません。

>全く問題ない文脈でしょう。通信社にたれ込んでみればよくわかるかと。

 通信社に垂れ込んで、何が解ると仰るのでしょうか? それは通信社云々ではなく、まずは引用された学者個人へ問うべきことでは無いですか? あるいは平凡社、幻冬舎へ。それとも貴方にとっては、通信社が相手にしてくれる、つまり報じる報じられないが、ことの正邪、善悪、正誤を判断する基準になっているのでしょうか? だとしたらとても驚きです。既存ジャーナリズムに批判的な日垣氏の読者に、貴方のように既存メディアの権威に依拠して止まない方がいらっしゃるとは。貴方個人としての価値観に立脚するご判断は無いのでしょうか?

>引用が長すぎて許容範囲を超えているという主旨の文もあったかと思いますが、まったく許容範囲だと思いますよ。ノンフィクションの世界では。引用元を記せばの話ですが。<

 ではこのフレーズは、その後に続く「ベスト云々……」も何も、その肝心の引用元が無いということで終わりですね。

>あと、参考文献の33冊からのおいしいとこどりなのか?という主旨のことを書いてらっしゃいますが、最後の章の33冊は参考文献ではないですよ。必読書というような種類のもので、読者に情報を与えている「本文」です。だからいわゆる「参考文献」とは全く性格が違います。読みました? 読んだ方がいいと思います。<

 ここは何故に日垣氏がそれを参考文献ではなく必読書と記したのか? にも一つの鍵があるでしょう。「必読書」という表現をある種の逃げにした可能性は大いにありで、本来なら参考文献とすべきであった可能性もある。なお、私は文筆家のはしくれとして、口述筆記をして「本文」などと言われることには抵抗があります。あれは、単に頁を稼ぐための酷い無駄遣いです。本来なら、巻末に余録として小文字や欄外に付け加えるべきことです。

>この本、冷静に読みましたが、ここまで親切にしてくれていいのか、というくらい「売れるとは?」=「面白いとは?」、つまり「読み手が面白いと思う文章はどういう文章か」というかなり難しいテーマを扱っていると思いますし、そこがキモだと思います。<

 たとえば当サイトにトラックバックを頂戴したブログや、あるいはアマゾンコムの本書の書評などがありますね。アマゾンコムの書評などは、どれを取っても非常に口汚く、眉をひそめるような罵詈雑言ばかりですが、その口汚い部分を除けば、読者個々人が書いていることにはまま同意します。そんなに評価できる内容ではない。仰るように、「読み手が面白いという文章はどういう文章かというかなり難しいテーマを扱う」には、いささか荷が重すぎたという評価しか私は持ち得ません。

>あ、あと長野の議事録を有料メルマガに、という話ですが、公開されている議事録を有料媒体に転載するのは問題ないでしょう。新聞だって、雑誌だって書籍だってやりますよ。<

 この議事録流用事件を巡って、仰られるようなことは、当時すでに議論として出尽くしたのですが、私は何度でも書きます。新聞とネットは違います。新聞がお役所の議事録を掲載するのは、議事録へのアクセスに物理的な制約が伴う読者が大勢いるからです。でもネットの世界は違います。ネット上で公開されたものは、誰でもアクセスできる。そこへのリンクを貼れば済むことです。
 日垣氏は、それがすでに公開状態であることを秘し、旅行中の穴埋めとして、それをメルマガの連載形式で配布しました。私が暴いてから、慌てて、それがすでに公開され、誰でもアクセスできることを記しましたが。

>むしろ、転載された側は喜ぶと思いますが。

 アフィリエイトを稼ぐ目的で、ただの新聞記事をコピーして公開しているだけのブログが無数にあります。貴方はそんな所からのトラックバックを貰って喜ぶタイプのお人でしょうか? いえ、貴方が個人的にそれに喜びを見いだすということであれば、私は否定はしませんが。
 私自身、有料のメルマガを配信している者として、日垣氏が行った行為は、著しくモラルに反する行為だと思っています。少なくとも私はしません。そういうことをしたら、私の読者は怒ります。日垣氏の読者がそういう行為に寛容なら、それはそれだけのことです。

>なんか批判の主旨がよくわからないです。

 私は日垣氏を擁護するコメントを大歓迎します。通信社云々の部分から察するに、他者や権威への依存心の強い方だとお見受けしますが、こういうことをお書きになるのであれば、そもそも貴方は人前で物を言うべきでは無いと思うのですが。

投稿: 大石 | 2007年7月26日 (木) 10時23分

盗作盗作と言ってらっしゃるようですが、こういうのは盗作と言わないのでは? 引用元を記すべきだとは思いますが。それをもってして、盗作と断じてもピンとこないと思いますよ。引用元は教科書的にわかりやすく書いてあるけれど、この本では特にあのような例文でなければならなという必然性がないので、使うとすれば別の例文を作ればすむ話です。論文とエッセイの違いくらい日垣隆さんが書けないはずがないでしょうから。にもかかわらずオリジナルを使っているのだから、この著者をリスペクトしたうえでの引用元落ちでしょうね。引用について、引用元の著者のオリジナルであることを記せないと書いてらっしゃいますが、全く問題ない文脈でしょう。通信社にたれ込んでみればよくわかるかと。
引用が長すぎて許容範囲を超えているという主旨の文もあったかと思いますが、まったく許容範囲だと思いますよ。ノンフィクションの世界では。引用元を記せばの話ですが。個人的見解としては、あのような流れでの引用であれば、地の文で引用元書籍というか著者を紹介するのがベストだとは思います。
あと、参考文献の33冊からのおいしいとこどりなのか?という主旨のことを書いてらっしゃいますが、最後の章の33冊は参考文献ではないですよ。必読書というような種類のもので、読者に情報を与えている「本文」です。だからいわゆる「参考文献」とは全く性格が違います。読みました? 読んだ方がいいと思います。この本、冷静に読みましたが、ここまで親切にしてくれていいのか、というくらい「売れるとは?」=「面白いとは?」、つまり「読み手が面白いと思う文章はどういう文章か」というかなり難しいテーマを扱っていると思いますし、そこがキモだと思います。
あ、あと長野の議事録を有料メルマガに、という話ですが、公開されている議事録を有料媒体に転載するのは問題ないでしょう。新聞だって、雑誌だって書籍だってやりますよ。むしろ、転載された側は喜ぶと思いますが。有料で購読している読者に無料のものを売りつけた、と怒る人がいるのなら、購読をやめればいいだけです。編集権、著作権をもって有料メルマガを発信している人が必要だと考えて転載したのであれば、それは立派に有料情報に値すると思います。朝日新聞に議事録なり、マニフェストなりが掲載されて、金払ってるのに無料のものを読まされて我慢ならんと思ったら、購読をやめればいいというそれだけの話です。違いますかね。なんか批判の主旨がよくわからないです。

投稿: うーむ | 2007年7月26日 (木) 05時20分

「編者」という逃げ手はいい手ですね。「監督不行届」で平身低頭頭を下げて幕引きと言うことで。「プロダクション」制度は経営者としての才覚もリスク管理も必要なんですね(棒読み)

投稿: pongchang | 2007年7月18日 (水) 15時21分

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