イラクと公団問題
日曜、14時には起きるつもりが、3度鳴ったはずの目覚ましに全く気付かず、16時に起きる。無性に時間が欲しい。
※ 無銭飲食の30代男女、死産乳児と逃避行5か月
これが本当に死産だったどうかは怪しいわけですが、解らないのは、これが10代ならともかく、男も女も30代半ば。仕事もなく半年も転々と逃亡生活を続ければ、最後はどうなるか解りそうなものなのに、因果関係の類推が出来ないんだろうな。
※ スカパーパックイン4時間ワイド版
前半部で解任された駐レバノン大使を呼んで、隣の木元教子さんが「貴方は現代の杉原千畝だ」、アホですか……。そもそも杉原千畝が外務省によって意図的に首を斬られたと思っている時点で、彼女の認識はまるっきり間違っている。
ところで、元帥が、イラクをどうするのか? に関して、「一端米軍が退いて、まあイラクはしばらくは混乱するだろうけれど、混乱した後に、国連で乗り込めば良いじゃないか?」と仰っていました。
これは、私が知る限り、「米軍撤退せよ論」を説く側から出てきた初めての具体案ですね。
これをして現実性が無いと批判する気は無いです。せっかく独裁者が倒されたのに、内戦に明け暮れて更に国内を瓦礫の山とするようなら、それはその国の民衆の責任でもあるから。
ただ、これはやはり、相当リスキーな選択肢になる。今現在でも武器が大量に出回っている。石油という資源もあるから、群雄割拠に陥ったら、資金源が続いて内戦を長期化させる恐れもある。それも10年20年という単位で。なおかつその後に、本当に民主的な政権が出来るという保証もない。当然、その数十年間、イラクはテロの温床と化す。
アフガニスタンという国は、ソヴィエト軍が押し入ってくるまでは、カブール辺りは、たいへん美しい都市だったと伝えられています。われわれはそれを写真でしか知ることは出来なくなった。そして、この20年間の内戦で、国中が瓦礫の山となった。
いったん米軍が退いて、成り行きをイラク国民の選択に委ねるというのはありだと思うけれど、それを論じるのであれば、想定される状況をつまびらかにすべきであって、少なくとも「その後に国連が入れば良い」などという、想定しうる最も楽観的な状況のみをもってして論ずべきではないと思う。その手の話は、フセインを倒しさえすればどうにでもなると思っていた米軍ほどにお目出度い乱暴な話の進め方だと思う。
※ 道路公団改革問題
私がちょっと不思議に思うのは、道路公団問題というのは、道路公団をどうするのか? どう改革するのか? という問題であって、懸案となっている道路を造るか否かを判断することでは無かったはずです。つまりそれは、改革された道路公団の仕事をどうするのか? という事後の話の問題。
ところが、その改革案を練っている人々の一部とマスコミには、道路公団問題とは、まさに「不要な道路」を作るか否かであって、公団の改革問題は二の次、というか、極端な話どうでも良くなっているのでは無いかと思えてならない。
これは改革の原則論が、そもそもの出発点において、人それぞれ全く違っていた。その認識の確認なしに改革案を練り始めたものだから、空中分解してしまった。
何事も経済状況を無視して作るのは無理であるから、「止めましょう」という判断になるとしたら、それはそれで良いと思うけれど、たとえば、今、道路公団改革の核心部分として、「この道路とこの道路は止めます」と決めたとしたら、果たしてそれを将来にわたって決定事項とすることが出来るのか? たぶん、ほんのちょっと景気が上向いたら、「経済状況も改善したことだし」と言い出す人々が出るでしょう。
従って、今の時点で、改革強硬派の皆様が求めるような建設中止のお題目を掲げたとしても、実はそれは一時のガス抜きに終わり、かつ道路に頼る地方経済をさらに疲弊させるだけで、無用の混乱と地方にもたらし、本当の改革の芽すら摘んでしまうかも知れない。今一度、出来上がった改革案を精査すべきではないかと思う。
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