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2004.01.18

被災者原理主義を越えて

 土曜昼就寝するも長男が煩くて全く眠れず。夕方、名古屋よりエンジニアの従弟来訪。あちらの女性と結婚したらしいが式は挙げないとかで、れいのトラック10台連ねてお輿入れという名古屋名物は見られないらしい。私には、従兄と呼べる存在はたぶん10人以上いるが、まったく付き合いはない。従弟は3人だけだが、いずれも長い付き合い。うち出稼ぎ組みは一人だけ。最新の技術革新に関して話を聞く。実姉も訪れて賑やかな夕食。
 入浴後スカパー朝日パックインを見る。番組冒頭部分で、アシスタントが視聴者から届いたとか言う下らん番組応援メッセージを延々と読み上げる。あ~あ、この番組もいよいよ末期症状だね。
 ある地方に、自分が世間からどんなに支持されマスコミからも注目されているかを商業メディアを総動員して年がら年中宣伝し倒すことに半生を費やしている変わった県知事がいるが(*銅像立てる以外のことはあらかたやってのけた。今はネタに尽きたのか前任者を見習って改名に凝っているらしい)、人間、自分が人様からどんなに誉められているかを他人に宣伝するようになったらお終いだと思う。
 異様につまらん床屋談義を半分だけ見て寝る。2時半、次男の泣き声で起きた後、朝まで抱いて過ごす。7時、女房を起こしてやっと交代。パックイン残り一時間も見たが、記憶に残る発言はひとつもナシ。

※ 長野県庁経営戦略局長奇蹟の復帰

 私が管理している康夫ちゃんのブックマークの上にある、れいの議会での吊し上げ事件からすでに三ヶ月が経過しました。てっきりこのまま退職かと思いきや、病床から奇蹟の復帰です。何があったのでしょう。
 この件は、周囲が辞任と囁き一人康夫ちゃんが否定していたという次元のものではありませんでした。康夫ちゃんはしばらく「得がたい人材」とか嘯いていたけれど、その発言から確か一週間もしないうちに県は後任人事の検討に入ったことを発表したように記憶しています。
 どうして復帰となったのか? 彼を今のポストに引き揚げたのは、事実上県庁のナンバー2たる人物だと言われています。仮にA氏としましょう。敢えて固有名詞は上げない。たぶん彼が説得したのでしょう。しかし俺の顔を潰してくれるなという関係にも思えない。
 ここからは私の120パーセントの推測ですが、たぶんこのA氏は、田中県政がもうしばらくで終わることの保証を与えたのでは無いかと思う。それが終わることの理由は解らない。スキャンダルか、健康上か、あるいは県政が空中分解状態だからどっちにしても持たないという判断からかも知れないし、自分自身が明智光秀となって何か仕掛けるつもりなのかも知れない。
 いずれにしてもこのA氏は、そうなった時に、県庁を支える同志としてあんたにいて貰わないと困るとでも説得したのでしょう。
 というのは、他の理由が思いつかない。この人は、このまま退職したって、全然困らないんですよ。むしろ田中県政に辞表を叩き付けた最初の幹部としてヒーロー扱いされ、民間から引く手あまたでしょう。そういう人物をあの茶番劇の舞台に復帰させる理由は何か? と考えると、これはもうそれが近々終幕を迎えるからという理由しか思いつけない。それは同時に、その日がなるほど遠からず来るだろうと確信するだけの材料を彼が手にしたということなのでしょう。
 時期的にいつかということになると、まあ1年も辛抱できるとは思えないから、近々ということでしょうね。

※ 古賀潤一郎衆院議員の学歴に疑問 米大学「学位与えず」

良く解らないんだが、国内ならともかく海外のことを誰が調べ上げたんだろう。ましかし、それくらい大目に見て良いんじゃないの。これが東大やUCLAなら、その学歴を見て投票したって人もいるだろうけれど、聞いたこともないペーパー大学(かどうかは知らないけど)の学歴を見て人物判断する人はいないでしょう。

※ クウェートの陸自先遣隊、「キャンプ・バージニア」に

 どう考えても、先遣隊の数を上回る自衛隊サポートのメーカーさんがすでにサマワに入っている。で、先遣隊とメーカーさんを足した数を上回るマスコミがサマワに入ることになる。何処か滑稽だ。
 マスコミ報道と違って、私は何の感慨も無い。自衛隊の中東派遣はすでにゴラン高原で実績があるし、危険度を言うなら、東チモールだって、まだ完全に安全になったわけじゃない。あっちはどうした? マスコミさん。

※ 被災者原理主義を越えて。神戸震災婦女暴行事件は多発したのか?

 神戸では、震災直後、世を儚んだ男たちによるレイプ事件が多発したという話があります。いつも地元民やマスコミ関係者の、密やかな神戸震災裏話として語られる。
 私は実は信じていません。なぜかというと、地震が起こったのは夜明け前。午前5時46分。情報遮断に追いやられた震災地点の状況は全く解らず、時の村山政権は、お昼頃になってやっと状況の深刻さに気付き始める。
 この地震が発生したのが宵の口だったというのならともかく、夜明け時の発生で、半日経って夜になれば、当然、辺りは暗くなるわけです。都会人は闇がどういうものかを忘れている。ほんの5メートルも離れれば、そこに人間がいるかどうかすら解らない。とは言え、まだ救難活動で自衛隊や消防、地元民が一晩中走り回っていた頃のことです。昼間は言うに及ばず。発生時は明るくなるまでまだ時間があったけれど、夜明けまで、野郎どもがセックスしまくって死のうと考えるほどの時間的余裕があったとはとても思えない。そんな中で、後々、語られるべきでない真相という形で流れるほどの事件が多発したのか? というと、私は無かったろうと思う。せいぜい、日常の発生件数程度のことでは無かったろうかと思う。

 この話の本題は、もちろんそれがあったか無かったかではありません。真相はたぶん藪の中の話と考えるしかない。この問題は、230さんという、さるさる日記を公開してらっしゃる匿名の記者さんが書いた後、地元民の勝ちゃんが噛み付き、同時に殿下(みんなさるさるのはずだから興味のある人は検索して下さい)も否定して、さらに230氏が反論するという珍しい展開を辿った。
 ま、勝ちゃんの罵詈雑言はいつものことですから、気にする必要は無い。この人にとって人間を判断する基準は三つ。すり寄って価値ある人間は称賛。絶対向かって来ないと見切った相手は罵倒。勝ち目が無ければ無視、という3パターンの人生観しか持たない人ですから。ここまで単純な思考形態に成長したのは日教組教育の弊害でしょう。殿下も、普段、そんなに上品な言葉をお遣いになる方ではありませんが。
 私は、ヒロシマ、ナガサキに関して、昔から「被害者原理主義」という言葉を使ってその平和運動を批判してきました。原爆問題に限らず、差別問題全般においてそうですが、時々、当事者原理主義というでも言うべき、当事者で無い者は口を出すなという雰囲気、あるいは言外にそれを求める人々がいる。神戸震災(これをして神戸震災というのは間違いかも知れないが、その人的被災度合いを考えると、阪神淡路……という呼び方は間違っていると思う)においても、それが窺える。口紅や生理用品を配ってとても感謝されたという何処かの県知事もその一人ですね。
 でも、戦争もそうですが、その災難の記憶を歴史として語り継ぐことと、その災害を防ぐ、あるいは最小限に留めるという目的を達成する上では、残念ながらエモーショナルな反応は、百害あって一利も無い。私は国家安全保障問題を語る時にしばしば述べますが、国を救うものは、結局は、pragmatical な事実の検証と理論構築です。人々を突き動かすものはいつの時代にも感情です。だから戦争はなくならない。でも、感情に訴えることは、危機管理において何のプラス効果ももたらさないことを私たちは肝に銘じなければならない。

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コメント

>>キャンプバージニア
ゴラン高原の場合は停戦監視でイスラエルと言う「アラブの敵」とシリアの間に入ると言う大義名分(と言うかアラブ民族向けの言い訳)があるけど、
今回のイラク派兵は建前は給水でも大義名分は米英治安部隊の補助と言うのが目的だとアラブ民族から捉えられてる(し、真意はそこにあるとばればれだ)からまずいのではないかと思うのですが。
民生支援で数千人規模の継続的な雇用を作れれば未だ不満も収まるし、
サマワ市民を自衛隊へのゲリラ攻撃の側に付けないで済むでしょうけど、そこまでの甲斐性が今の日本政府には無いように思うのですが(;´Д`)
やはり、火消し役と火に油を注ぐ役を買って出るのは明確に違いますよ(;´Д`)

投稿: Artane. | 2004.01.18 10:17

>>震災レイプ
七八年前に震災の傷痕残る尼崎から長田まで縦走して色々取材しましたが(金が足りなくて同人誌形式での出版はあきらめた)、レイプの噂には皆否定的でしたね。
どっちかと言うと「震災直後はみんなが団結して人を助け、必死に生き延びたが、今(当時)みたいに余裕ができるとみんな欲が出てその頃の事を忘れてしまっていて嘆かわしい」と言う話の方を多く聞きました。
仮に当事者だから思い出したく無いのでは?と言うツッコミがあるとしても、私は実感として一部の血の気の多い若い衆が避難所でそういう真似をした事が何件かあった以上の事はなかった、それ以前にレイプなんてやってる余裕自体がある状況とは思えない酷さだったと思います。

投稿: Artane. | 2004.01.18 10:25

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