« そこに戦場がある限り | トップページ | じり貧の朝日 »

2004.04.17

自己責任原則の考察

 金曜、長男、お昼前に突然熱を出して寝込む。前夜から眠りが浅かったり、起きた途端に水を一気飲みするなど、ちょっと様子がおかしかった。熱が上がったままなかなか下がらないが、体力を消耗して病院に行っても、薬が出るわけではないので、金曜一杯様子見で安静にさせとく。土曜朝7度1分まで下がる。しかしまあ、子供の発熱というのはまるでターボでも掛かったみたいにあっという間ですね。

 与太郎最新版、挙動不審始まる。なぜか立ち上がった瞬間にハードがフリーズするようになった。入れるんじゃなかった。ATOKだけにしとけば良かった。

※ 日経BP「モノクル」創刊

 う~ん、たぶんこれ言うの私だけじゃないと思うので書いてしまうけど、タイトル・ロゴは再考の余地ありかと。我が家には当分縁がない薄型テレビの特集でスタート。しかし何だなぁ、ハイビジョンってダメボ(~_~;)。制約が大きすぎるんですよね。綺麗だけども、あれ出来ない、これ出来ない。半世紀使った技術に別れを告げる全く新しい技術だからある程度は致し方ないとしても、こんなのが果たしてものになるんだろうか。
 ところで、日経がこの時期に、この手のグッズ雑誌を出したということは、もちろん日経が日本の景気回復にお墨付きを与えたからですね。この雑誌は、いずれ往時のDOS/Vマガジンのように、ピンで机に立つ程、分厚くなることでしょう。いや、そうなって貰わないと困る。
 後ろの頁に「衛星二機をぶっ飛ばしたNHK会長の一代記」という面白い記事があります。これはあの島ゲジがいかにして衛星ビジネスに夢を賭け、破れたかを書いたものですが、もしあの頃の衛星打ち上げが失敗しなければ、日本の衛星放送はまた別の道を辿っていたかも知れない。

※ イラク主権、国連主導の暫定政権案…米が方針転換へ
 【ワシントン=永田和男、飯塚恵子 ブッシュ米大統領は16日、ホワイトハウスで行われた米英首脳会談後の記者会見で、イラク民主化プロセスについて、国連主導の主権移譲案を「歓迎する」と述べた。】読売

 この期に及んでも「歓迎する」なんぞと高見からでしかものを言えない。この連中はまるで皇帝陛下か。
 展開する国連スタッフを守るために多国籍軍を編成するらしいが、いったい何処の国が手を挙げるというのか。今となっては、絵に描いた餅をどうやって立体物にしようと言うんだろう。治安回復が無ければ、国連は権威を与えることは出来ても、アンマンからリモート指令を出すのが現状では精一杯。世界中に国連幻想があって、それはイラクの民衆の中にもあるんだけど、彼らは彼らで、国連が来れば、一気に事態が改善されるような幻想を抱いている。一方で、今、アメリカが相手にしている最も先鋭な勢力は、国連がやって来たら、アメリカ排斥から外国人排斥にキーワードを替えるだけですよ。今ですら駐留各国軍に出て行けと行っているんだから。
 そういう連中は、万一国連が出てきて影響力を発揮し始めたら、アメリカへの矛先を国連に向けるだけですよ。それが百も解っていて、国連がのこのこ出掛けていけるかと言えば、それも無理な話。
 今大事なことは、とにもかくにも全力を挙げて治安平定することです。そしてイラクの民衆には気の毒なことだけど、紛争地域からの援助を一端引き揚げることです。
 ここ一週間のファルージャ周辺での民間人誘拐と殺害は、イラクでの非軍事の援助活動をチャラにした。背後で操っている連中の目的は外国人排斥だからそれで良いんだろうけれど、それが自分たちの首を絞めているという事実を、イラク民衆に理解させて、一方で、アメリカの占領が長引くだけだよと認識して貰うしかない。

※ 解放経費代金請求?

高遠さんちが資産家だということも相まって、国が掛けた金を請求すべきだという意見が政府の中からも出ているようですが、昨日一日の報道を見ていると何か大きな誤解が生じていますね。
 第一に、この3人は間違いなく自己責任原則を承知の上で活動していた。それを無視して喚いたのはプロ市民に乗せられた家族であって本人らでは無い。18歳の青年に関しては親の責任大だから子供を危険地帯に赴かせた責任は問うて良いでしょうが。
 第二に、政府は退避勧告を繰り返し出していたと言いますが、その一方で現地でのNGO活動は奨励していた。退避勧告なんてものは、保険の免責事項ほどの拘束力も無いことは政府が一番良く解っている。一方で、現地で活動していたNGOの資金の多くが政府から出ているわけです。
 高遠さんは一人ボランティアだったらしいけれど、それでも彼らの活動は何ら批判されるべきものではないし、政府はそれを奨励もしくは黙認していた。
 それに、政府は、この件でポイントを稼ぎこそすれ、金銭以外では何ひとつ損していない。もしこの誘拐事件が無ければ、日本国内は、ここ一週間、自衛隊の駐屯地に落ちた迫撃砲弾のことで議論沸騰していますよ。私なんか、自作自演を言うなら、日本政府の自作自演じゃないかと思っているほど。人質は無事、自衛隊の安全論議は封殺、聖職者協会ともパイプは出来たし(クベイシ氏は早速日本政府からコンタクトが無いと言っているが、ま、早い話謝礼はどうした? という次元な話)、政府判断の支持も異様に高い。これだけの結果を、たかが10億20億の経費で出せるかと言えば無理なんだから。

 何か、「特異事態発生時行動指針」と称する「少年探偵団」並みの賑々しい名前の文書を国内に託して自分はイラクに乗り込んだとかいうことを週刊誌の巻頭コラムで自慢しているワイドショーのコメンテーター氏がいますが、そんなの、何の自慢にもならないですよ。
 講談社というあごあし付きの大名旅行で出掛けてもし誘拐でもされたら、野間社長が外務省に日参して救出をお願いすることになる。どんなメッセージを国内に託そうがそれは避けられない。本当に、そこにリスクがあることを承知している人間は、そもそも組織なんか巻き込みはしませんよ。その編集部にとんでもない迷惑を掛けることが解りきっているから。だから完全に世間との縁を切ってフリーランスで赴く。人質みたいに大会社の編集者を同行させたりなんかするものですか。そこまで堅い保険を掛けて大名旅行する人間に、自己責任に関して威張って欲しく無いですね。

今回起こったことは、われわれがちょっと予期できない事態でした。私も海外へ出る時には、いついつから日本にいないからと親に電話します。行き先は言わない。ここで何かあっても、保険は出ないなという所にも行かざるを得ないことは残念ながらあるから。
 田舎の80前の親に、自己責任原則をくどくど説明するかと言えば、そんなことはしません。余計な心配を掛けるだけだから。今回、極めて特異だったことは、もともと家族が左翼傾向を有していたのか、権利の主張は無限だと錯覚している人々だった。それにプロ市民が乗っかる形で、誘拐された本人たちは自覚していただろう自己責任原則が見事に無視される形で国内事情が回ってしまったことです。
 これは私たちにも降りかかってくることで、もし今後とも会社組織に依拠できないフリーランスの活動家やジャーナリストに何かあったら、メディア露出のチャンスを求めるプロ市民が巧みに留守家族に接近してきて、政府批判を吹き込むことでしょう。
 イラクはイラクで、誘拐解決を巡る利権に群がる有象無象の連中が現れて事態をややこしくしたけれど、日本は日本で、同様にそういう連中が「人助け」を御旗に思う存分家族を利用したのだという事実は見なければならない。
 そのことは、大元でプロ市民団体と左翼がかったマスコミが連携して動くから、滅多には批判されることが無い。同じことが、また繰り返されるような気がする。

|

« そこに戦場がある限り | トップページ | じり貧の朝日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自己責任原則の考察:

« そこに戦場がある限り | トップページ | じり貧の朝日 »