IFCON
今日、日曜日も三時間しか眠れずに状況開始。くたくた。13時にやっと帰宅できて日記を書き始めたが時々意識が飛ぶようになり、布団に倒れ込む。
しかし、あんなに強い台風だったのに、10名前後の犠牲者で済んで幸いでしたね。先日の台風では、鉄橋の橋脚まで流されたのに、犠牲者は抑えられた。
この頃、私のように台風銀座で育った人間の心の中で、確実に台風の威力は小さくなりつつあります。それは少年体験としての台風があまりに圧倒的で、大人になる過程で現実感が芽生えてきたということもあるけれど、やっぱり個人が台風の威力を実感する理由は、ひとつには自分が外にいて、具体的にその威力を思い知る機会でもなければ、おおよそは、テレビを通じて得られる映像情報と、犠牲者の数に比例するんですよね。所が最近、犠牲者百人のオーダーを出すような台風が来ていない。いや来ていないわけじゃない。だから、台風がどんどん小粒になったような誤った印象を受ける。
しかし、これはどうして達成されたことか言えば、言うまでもなく、この半世紀に及ぶ地道で、しばしば過度と批判される河川対策などの防災事業で得られた成果です。不幸なことに、防災というのは、これは事業としても人的コストとしても全く報われない仕事でして、犠牲を阻止して当たり前、犠牲が出ると何処かが袋叩きに遭う。
たとえば、昨日の東京の雨も凄まじいものでした。あれは、20年前なら確実に、もっと大きな犠牲も出て、決壊状態の川も出ていたかも知れない。幸い、ここしばらく、巨大な地下放水路等の整備も進み、あの手の短時間毎の集中豪雨でも、町が長時間水浸しになることはなくなりつつある。
そうすると人間というのは現金なもので、平素は、分厚いコンクリートの壁や馬鹿でかい土塁が、大げさな土木事業として目に入るわけですね。あんなものに金を掛けるんなら老人ホームがいくつ建つだろうかと思う。一方、風雨の中で寝ずの番に当たった人たちだけが、今回は、あれとこれがあったから、どうにか持ち堪えることが出来たとほっと胸をなで下ろし、専門家は、貴重なデータを得て、更に優れた防災計画にフィードバックさせようと努めるけれど、何しろ、それにオーケーを出す側の市民は、長いこと「被災」の経験が無いから、そんな過大で金が掛かることは止めろと反対する。そこでヨーロッパやアメリカの例が引かれたりもするんだけど、ヨーロッパにはまず台風は来ないし、地震もほとんどない。アメリカでは、山肌の川沿いに済まなくても済むし、日本の特殊性というのが、忘れ去られがちになる。
今後の防災のあり方というのは、たとえば今年で言えば、実際、台風の上陸回数も多く、トータルで考えれば被害も大きかった。データを持っている国交省辺りや、現場で防災に当たる自治体が、研究部門が持っていて解析したデータを積極的に広報して、この地区の場合は、これとこれの防災事業があって、これだけの効果が得られたということを住民に指し示すべきだと思いますね。やっぱり、こういう台風シーズンにダムを議論するのと、春先に議論するのとはやはり住民の温度差は確実に違いますから。
※ 貴重な資料「H2」7号機、引き取り手なく廃棄の危機
こんなことで手間取っているから、日本の科学教育が衰退するなんて言われるんだよね。
※ 観劇中けんか、男性刺され死亡 連れの男逮捕
これは名古屋で、キンキン主演の劇をやっていたんですよね。きっと刺された者同士の友人は、実はスカパーパックインの視聴者で、昼間のパックインを観た後、二人で憂国談義になり、それでもやもやしたまま、観劇の最中に刃傷沙汰になったのだと信濃のコロンボは推理しますた。憂国殺人では無いのだろうか。
そんな突飛なと思われるかも知れないが、つい30年前は、それで殴り合いに留まらず、山の中で殺し合いを演じていたわけですから。
※ IFCON
土曜。睡眠3時間で起きる。ホテルの外へ出ると、雨はたいしたことは無い。3時間前は激しく窓を叩いていたのに。
8時50分発の「あずさ」に乗る。列車がホームに入る間、私の前に、うちと同じくらいの家族構成の母子連れがいた。すでに行列が出来ているにも拘わらず、70歳過ぎの爺さんがつかつかと列に割り込み、母親が抱く下の子供に馴れ馴れしげに話し掛け始める。いるんだよなぁ、こういう迷惑なジジイが、まるでうちの爺さんだよと舌打ちしつつ、ほんに嫌な気分になる。田舎じゃ、外に出る度に、うちの爺さんも婆さんもこうやって毎日、赤の他人の親子連れを掴まえては、東京にいるうちの孫もあんたと同じくらいの歳でねぇ、と話掛けているんだと思うと、顔面にロケットパンチを食らわせたくなる。
この爺さんの好き勝手を許してなるものかと母親の後にピタァとくっついて列車に乗り込む。すぐ耳栓、空気枕で寝の態勢に入る。しばらくして若い車掌さんが現れて検札を始めてびっくり。自分の番が終わってふと横を見ると、さっきの爺さんが、通路を挟んだ反対側に座っている。まだ一人で座れる状況なので、話し相手もいずに静かだったので気付かなかったらしい。
車掌さん、平塚まで行きたいと言う爺さんに捕まり、身動きがとれなくなる。爺さんは終いには、自分が昔乗った古い電車の話を始める。これがベテランなら適当にあしらうんだろうが、若い車掌さんは、身動き取れずに後ろの乗客のイライラ感が伝わってくる。10分近く路線の話や世間話に付き合わされてやっと解放される。
誰か不運な人間が隣に座らなきゃ良いけどなと思っていたら、途中駅で乗ってきたまだにきび顔のOLが不運にも犠牲になる。辛抱強く、爺さんの世間話に付き合っていたが、甲府で席を立ち、別の車両へと移動して行った。続いて座ったのは同世代の婆さんで、こちらも早速捕まるが、耳が遠いのか、最初は反応鈍し。しかし東京までは彼女しかいないので、彼女を相手に喋りまくる。耳栓持ってきて良かった。
本来ならこんな微笑ましい光景にイライラする私は、度量が狭い人間なんだろうかと、車中ずっと自問自答していた。あの爺さんに、たぶん悪気はない。ああやって、見知らぬ人と世間話しながら旅するのが彼の愉しみなのだ。都会者の貴方も田舎のエアショーに行ったりすると経験あるでしょう? こっちは金掛けてやって来てんのに、突然見知らぬ地元の親父に話し掛けられ、「あんた良いカメラ持ってるねぇ……」と思考の邪魔をされることが。
私は、その何が嫌だといって、自分の父親を見ているような錯覚に囚われるから一層嫌になる。
八王子まで30分爆睡。立川で乗り換え。実の所、南武線もちょっとの雨で止まるので、安心は出来ない。12時前、溝の口着。雨はまだたいしたことなし。その後のニュースによると、松本-東京間は、11時頃には止まったらしい。予定を早めて良かった。
昼飯を食べ荷物を軽くして外出。電車が止まった時のことを考えて、一通りの仕事道具とペンライト、空気枕を持参。寝るためのシートも持参すべきかどうか迷ったが止める。駅まで歩く間にズボンの裾がびしょびしょ。丸の内線で本郷3丁目駅。知らん間に駅がモダンな作りになっているが、地上に出て全身硬直する。凄まじい雨。話し声も聞こえない。しかし、7、8分の距離をタクシーに乗るのも癪なので、ズボンを膝上まで折り上げて歩く。
でも、思ったより遠い。あれ、本郷三丁目駅から赤門自体が決して近くないんだよね。あれがランドマークだから、つい地図とかでは、間をはしょって描かれがちだけど。しかも、通行量が少ないせいで、車は凄まじくスピードを出して水を跳ねる。
腰から下はたちまちびしょ濡れ。この世のあらん限りを呪いながら会場着。だいたいなぁ、こういう時は主催者側が気を利かせて、「本日はこういう天気ですから、またのご機会にお願いします」と連絡を遣すのが大人の付き合いだと思うぞ。こういう時に、世間の常識無く、這ってでも来てこそヲタクだという冷淡な態度を取るからヲタクは嫌われるんだよ(-_-)。
誰もかまってくれないので、旅館のロビーにてニューズウィークとゲラを読む。5時前後の台風ピーク時間帯に、普通こんな天気であんたら来ねぇだろうが!? と思いつつインタビューを無事に消化し、晩飯にありついて帰るが、その頃には雨もほとんど降っていない。ただし、丸ノ内線はどこかの冠水で止まっていた _| ̄|○ 。遠回りする体力気力無く、タクシーで神保町駅まで移動する。
田園都市線車中爆睡。多摩川を渡っている間にムクッと起きたら、隣の親父が、靴下を脱いで見るも無惨な水虫をボリボリ掻いている。一瞬血の気が退く。皮膚科の壁に貼ってある水虫の症例写真より遙かに酷い。それもう会社休んで入院加療だろうが、おっさんよと思いつつ、一瞬戻しそうになる。人生いろいろ、乗客いろいろを目撃した長い一日がやっと終わる。
結局、この天気も重なり、シーテックも横浜にも行けず。無念な週末となる。
※ メルマガおまけ 晴れの特異日
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