2013夏、尾瀬紀行
2013年8月、尾瀬紀行。編集済みの写真を、HDDごと吹き飛ばしたせいで、アップが遅れました。もう写真の再編集のモチベーションは戻らないし、かと言って越年させるのもどうかと思うので、ひとまず記事だけアップします。
ハイキング自体は、本来は8月の24日前後を予定していたけれど、長男がこの辺りしか部活を休めないというし、天候もまずまずなので、急遽予定を一週間繰り上げ、15日の木曜南武線始発での出発とする。
その前に一週間ほど掛けて装備を新調。所が、自分のトレッキング・ブーツで躓く。神田の石井本店で長男と全く同じ靴&サイズのものを買い、森林公園の往復で3人で慣らし歩きした時に、私だけ両足首を酷く痛めてしまう。足首を捻ったわけではなく、単に、締め付けで痛める。ハイカットのトレッキングブーツでは良くあることで、この痛みが酷かった。
出発まで数日しかなく、一応、山にも登る予定でいたので、なんとか馴らそうとサポーターを買ったりしてみたけれど、そもそも靴を履けないほど痛みが酷い。金槌で何カ所か強打してしまったような痛み。
やむなく、ニコタマの好日山荘で、ローカットのハイキング・シューズを買う。その後、帰宅してから、一ヶ月、なんとか馴らそうといろいろやってみたけれど、結局駄目だった。甲に当たる部分の紐の裏の辺りが甲を圧迫して1キロも歩くと痛みで靴紐を外すしか無くなる。何が拙いのか全く不明。足の前後のサイズはぴったりなんだけど、ひょっとしたら、サイズが全般的に小さいのかも知れない。
好日山荘で、足の長さを計って買ったハイキングシューズは、前後に若干の空間があり、これが後に親指の血豆の原因になるんだけど、トレッキングブーツより5ミリ、サイズが大きかった。
*トレッキングブーツ不調の原因は、後に好日山荘ニコタマ店で相談して判明した所では、私の足の甲がちょっとサイズより大きかったことで、日本人には一定数、そういう人々がいるんだけど、ヨーロッパ基準で作られる靴、つまり白人の足形を参考にデザインされるブーツでは、ありがちな話だそうです。後に購入した他メーカーの日本人向けの靴では、同じサイズなのに、そのトラブルは出なかった)
出発日朝の東京駅での乗換時刻が、切符を買う時間まで無さそうだったので、水曜日の夕方、ノクチ駅へ赴いて、高崎乗換の沼田まで切符を買う。お盆なので指定席券。幸いにして新幹線も列車も定刻通りに走ってくれる。こういう時、日本の鉄道輸送の正確さに感謝すると同時に、終戦記念日に飛び込み事故が起きないことを祈る。
沼田からバス。この旅行のために千円札を30枚くらい用意したけれど、二日目のお昼にはもう無くなった。
バスからの車窓は、うちの田舎みたい。懐かしくなる。にしても走っている時間が長い。90分より長かったような気がする。
途中、何処かでスズメ蜂に似た虫が同乗してくる。でも明らかにスズメ蜂じゃない。所が、夫婦で乗っていた団塊世代と思しきおっちゃんが騒ぎ始めて新聞紙を持って追いかけ始める。
被弾を逃れたそのスズメ蜂擬きは、私の左腕にorz。これだから都会もんは嫌いだよ、たかが蜂くらいで……、とぼやきながら帽子で叩き墜す。うちに帰ってググッたら、どうもアカシアブだったらしい。それにしても、このバス、復路でも蜂が飛び込んで来た。
戸倉でまたバスを乗換。天気はピーカン。紫外線が強い。鳩待峠への道は細いが、対向車がいるわけでもないので快適。10時過ぎ、標高1591メートルの鳩待峠に到着。
ここでハイドレーション・パックを出して、三人分のポカリスエットをそれぞれ作る。この高度でこのくらいの暑さだと、下は辛いなぁ~、とちと先が思いやられる。
恨めしげな長男と、不安そうな次男を「尾瀬」の看板の両脇に立たせて記念写真を撮ってから下り始める。木道は綺麗に整備され、随所に休憩用のベンチも設けられて利便性この上なし。
先頭長男、真ん中次男。長男には、「急ぐな」、次男には「絶対に、歩きながら振り向くな」と厳命。
虫除けが効かないことを実感する。たぶん効かないだろうなぁ、と思っていたけれど、ここの虫は驚くほど虫除けスプレーへの耐性が出来ている。気休めにしかならなかった。しかしハイカーが使う虫除けスプレーに拠る環境破壊とかどうなんだろうか。
サクサクと山の鼻まで降りる。3.3キロ。でもここの高度は1399メートル。実は200メートルしか降りていない。山の鼻のビジターセンターで、ただいまの気温「30度」を目撃。うわ~orz。
ただ、風が吹くと涼しいんだな。ここで昼食に行動食。多くのハイカーが熊避けの鈴をザックに下げているので、次男が欲しがり、記念に一個買う。山はともかく、湿地帯に熊は出ないと思うけどなぁ。12時半前、いよいよ湿原地帯に出発。雲が出て来る。遠くに、明らかに雨雲。竜宮十字路から真っ直ぐ進むのが最短コースなれど、東電小屋が気になったので、ヨッピ橋へと向かう。
このコースで歩くハイカーは少ないのね。それまではぴたりと前後に大勢のハイカーがいたのに、不安になるくらいぽっちな歩きになる。
にしてもハイドレーション・パックは便利ね。転倒の原因になるから、歩きながら飲むなんてことはしなかったけれど、一度これを使ったら、もう水筒には戻れない。
所で、葉が巨大に成長しきった水芭蕉が繁っているんだけど、あちこち踏み荒らしてある。まるで相撲取りが暴れたみたいに派手に踏み荒らしてある。鹿が入るとこうなるらしい。この前、グリルスのサバイバル番組でベアが言っていた。
311直後、東電に依存していたエリアの管理はどうなるんだ? という不安の声が上がって、実際今、どうなっているのか私も良く知らないんだけど、木道自体はちゃんと管理されている。作業員も出ていて、メンテナンスはきちんと行われている感じだった。
14時丁度、東電小屋に辿り着く。空は全くの曇りに。休憩して塩アイスを食べていたら、ポツポツと降ってくる。遠くからは雷鳴も聞こえ始める。
拙い!(>_<)。尾瀬で一番遭遇したくないのが、熊じゃなく雷。何しろ逃げ場がない。急いで出発する。赤田代分岐を経て幕営予定の見晴十字路までほんの2キロを急ぐ。幸い、東電小屋でポツポツ降っただけで、その後は降らず。雷鳴も遠いままだけど、遠くでは降っているのが解る。
しかしあれね。汗だくになり、ひたすら下を見ながら林の中を抜けて、何の予感もなく湿原に出て視界が突然拓けた時の感動って、格別なものがある。
十字路の山小屋銀座を抜けて幕営地へ。自分の人生で、ここに子供を連れてキャンプしに戻って来る日があろうとは思わなかった。感無量。
燧小屋で受け付け。以前は、この幕営地も簀の子があったような気がするけれど。バブルが弾けた直後、ここもしばらく荒れたようで。でも今は、トイレと水場が格段に綺麗になっている。尾瀬のトイレは全て水洗で、それも綺麗。
水はけの良さそうな場所、かつ雷が落ちなそうな場所を探してテントを出す。張り終わって荷物を入れてほんの10分もしない内に、大粒の雨が降り始める。それ以降は、日が暮れるまでずっと降ったり止んだり。ただこの夜の雨は、翌日の雨に比べれば全然たいしたことはなかった。
明るい内に、燧小屋に風呂を貰いに行く。フロントには公衆電話があり、中年男性が仕事の電話を掛けている。ああ、やっぱり尾瀬に電話は無粋だよな……、と思う。
長男、貴重なお湯を遠慮会釈無くバカスカ使うorz。次男は、湯船の縁が高くて怖かったと後に報告。着替えは日数分持参。
ビジターセンターにある水場のベンチでの晩飯は18時過ぎ。まだ明るかった。驚いたことに、ポンピングしている人とかいるんだよね。ガソリンらしいけれど。あと、ハムでモールス信号を打っている人もいた。このエリアだけ何だか時間が止まっているみたい。
次男にアルファ米を食べさせたら、酷く不評で泣き出す。食い物は遭難に備えて必要量の三倍くらい持参したけど。長男は自分で選んだあれやこれやを淡々と試食。
夕食後、いったん空が完全に晴れたので、19時前、「夕焼けを見よう!」と十字路の入り口まで歩く。
何が驚いたって、こんな所で、こんな瞬間に煙草を吸っているバカがいる! その場でもしKRISS Super V でも持っていたら、躊躇わずに引き金を引いて心臓を綺麗に抉っていたと思う。
雨が上がったばかりなので、霧が出て幽玄な夕焼け。そんな所で煙草を吸って全てを台無しにする奴がいる。尾瀬でずっと悩まされ続けて一番不快だったのが、よりによって煙草。何しろ最近の山小屋は禁煙だから、山小屋の外では、必ず煙草を吸っている奴らがいるのね。
テントを張った場所は、地べただったので、雨による泥の跳ね返りがフライに付着する。前室自体全然広くないので、出入りする度に、いちいち紐を結んだり解いたりしなきゃならない靴の脱ぎ履きがちとしんどい。テントを開けると当然虫も入って来るし、子ども達は、これでちょっとうんざりしたみたい。
暗くなってからまた降り出す。日付けが代わる時間帯まで降っていたような気がする。翌日は燧ヶ岳に登る予定だったけれど、雨音を聞きながら断念する。
見晴らしからの登りは、上はほとんどがガレ場で、雨が降ると沢になる急な登りが続くので、大事を取って断念する。地図を見ながら、翌日の予定を立てる。
食後のコーヒー代わりにと、スティックのカフェオレを持参したつもりがどうしても出て来ないorz。ポケットの一番奥に滑り混んでいたことに気付いたのは、帰宅してから。ちなみに処方箋薬は、ザックのポケットの、いつでも取り出せる場所に仕舞って置いたけれど、とうとう一度も飲む暇はなかった。
所で、燧ヶ岳は、東側からの緩やかな長英新道が整備され、東側からのアプローチが推奨されるけれどどうなんだろう。登り切った後、急なガレ場を延々下るのも大変だと思うけれど。普通はそのまま引き返すんだろうか。
* そういうことならここは大清水まで一日で抜けて、その夜は温泉一泊だろう? というのが正しい判断だけど、キャンプが目的なので、一応、泊まりは予定通りということで寝る。所が午前2時頃、寒さに目が覚める。今回出発前、十日間ほど尾瀬の天候や最低気温をチェックして、私用のシュラフは要らないだろうと判断して子ども達の分しか持参しなかった。万一のことを考えて、シルクの非常用シュラフを一つ買って置いたのでそれを出す。けれどやはり寒かった。
金曜朝、起きたらフライの張り方がいい加減だったせいか、テント内が結構結露している。石井本店で、ゴアテックスのフライ無しテントが展示してあって、「これフライは要らないんですか?」「ええ。ゴアですから」というやりとりをしたばかりで、どうかなぁ、と思ったけれど、やっぱりフライは要るでしょう。結露はうっとうしい。
幸い、息子たちは熟睡できたらしい。
金曜朝は快晴。なぜか日中は晴れる不思議な尾瀬。バンダナでテントの露や泥を拭って撤収。ここから尾瀬沼の西端、沼尻までの5キロの登り。高度が1660メートルで、実は鳩待に登るよりきつい。しかも、木道の整備が中途半端orz。
雨上がりだから所々沢になっているし、対向できない崖も何カ所もある。挙げ句に、休憩用のベンチ等が全くないんだよね。
あまりの放置ぶりに絶望する。ここを登っている時に、ああ、日本は没落したんだなぁ、この四半世紀、敗北を抱きしめて日本は過ごしたんだぁorz。としみじみ思う。関東地方で富士山に次いでもっとも混雑する自然遺産を整備する金もないのか! あと、英語表記が少ないよね。もう少し増やさないと。
このルートは決してハイカーが少ない所じゃないんだよね。事実上、山に登らずに、尾瀬沼と見晴を往来できる唯一のルートだから、もう少しきちんと整備されて良いはずなのに、でもやっぱり尾瀬で一番深い所だから、ここまで資材を運べないということなのだろうか。
そんなことを思いながら歩いていたら、突然視界が拓けて沼尻の休憩所が見えて来る。この三日間のハイキングで、この沼尻の風景が最高だった。もうワオー! な景色。10時半頃のことで、そこに差し掛かった時間帯の光線具合もあるだろうけれど、燧は綺麗だし、尾瀬沼は煌めいているし。ああ、偏光フィルターを持参して良かった(^○^)! ここで過ごした休憩時間は、まるで桃源郷に迷い込んだような夢のひとときだった。
ここで休憩。子ども達は冷たいジュースに、私はやっとコーヒーにありつく。この三日間コーヒーが無いということで、異様にコーヒーに飢えていた感じがする。
この沼尻のトイレって、ウォッシュレットなんだよね。驚いた。尾瀬のトイレは、全て善意のチップ制なので(その代わり山とは思えないほど綺麗な水洗)、湯水のようにコインが出て行くのが難だけど。撮影タイムを取ってから尾瀬沼へと出発する。
12時頃尾瀬沼到着、尾瀬沼ヒュッテでの幕張の受け付けが13時からということで(要予約)、その前に長蔵小屋で昼食。山菜うどんを食べる。乳飲み子を背負ったお母さんが働いている。ちょっとびっくり。
尾瀬沼ヒュッテは、印象が良くないと一部で言われているけれど、行って見て解った。私もあまり良い印象は持てなかった。たとえば、キャンプ客に対して、あれするなこれするなと煩い注意書きがあったりして。正直、やっぱ官営だよね。
ヒュッテの玄関に大型望遠鏡が据え付けてあり、燧の稜線やピークが綺麗に見える。
ここの幕営地も長らく閉鎖されていて、2007年に再開されたらしいけれど、簀の子があって綺麗なんだけど、その簀の子がフリーサイズというかやたらにでかくて、簀の子の端にある鎖まで張り綱が届かない。予備知識として知っていたので、持参した4ミリ径のロープを切って繋ぎ足す。簀の子の隙間にペグを突っ込む猛者もいるけれど、もう少し配慮が欲しい所。
前夜の経験があったので、今回はフライをきつく張って、フライとテントとの空間を確保する。
重量物をテントの中に置いてから、早速散策に出発。沼山峠を往復することにする。行程およそ三時間。登りに入るまでの大江川湿原は、小川が良いんだよね。岩魚が泳いでいたりして。すれ違うハイカーは数えるほど。たぶん10人もいなかった。
沼山峠休憩所に辿り着いてびっくり! なんと大型観光バスが止まっている。へぇ~、車が入れるんだ。しかもバスは会津交通。ここはまだ群馬県だけど、エリア的にはもう福島なんだよねぇ。車が来るからには携帯の電波も立つだろうと思ったら、駄目だったorz。ここでもコーヒーを一杯。
復路、少し登ってすぐ下り。眼が不自由な男性のステッキを引く女性、老婆の手を引くハイカーとすれ違う。下りの途中で雨が降ってくる。雷は無し。まだ本降りというほどでもないので、木陰でやり過ごす。
所が、湿原に降りてからとうとう本降り。雨合羽も持参していたけれど、風も無いので、息子たちには傘を差させる。傘は2本のみだったので、私は雨合羽を出して、頭から羽織ってテントまで辿り着く。
隣の簀の子には、前日から幕営していたらしい若いカップルがいたんだけど、何と煙草の匂いが漂って来る。これ聞こえよがしに、「煙草が臭って来てないか!」と嫌味な声を上げる。
この日は、晩飯の前にヒュッテで風呂。長男、またもお湯を無駄使い。見晴でもそうだったけど、外からお湯を貰いに来るハイカーって意外に少ないのね。風呂場はほぼ独占状態だった。尾瀬沼ヒュッテにはジュースの自販機はもとより、ビール・サーバーまで置いてある。ちょっとくらっと来たけれど我慢我慢。ジュースだけ買う。こういう時、ペットボトルは便利。潰して持ち帰れるから。
雨は降ったり止んだり。暗くなってからビジターセンターの前でバーナーを焚いていたら叩きつけるような大粒の雨が降り始める。
ビジターセンターには、屋根付きのデッキがあるんだけど、中から人が出て来て、ご親切に電気を点けて下さる。軒下外でならバーナーを使って良いですからとも。ああ、こんな所で仕事して給料を貰えるのか。裏山鹿!
石井本店で買った山の棒ラーメンを二人分作る。このラーメンは意外に固くて煮るのに時間が掛かる。ここは幕営地としては規模が小さいのと、幕営地と水場が距離があるせいで、わざわざここまで来て飯食うハイカーはいないらしく、広いデッキを独占して晩飯を食べる。次男、棒ラーメンに今夜は大満足。
所で、幕営地の入り口に、それぞれの簀の子のナンバーを振った看板というかエリアマップが立っているんだけど、夜、暗くなってからトイレとの往復で次男が奇妙なことに気付く。
「ねえ、4番だけ赤く反射するんだけど……」え!? 帰京してから、その看板の写真をググッて見たら、確かに「4」だけ赤いんだよねw。何があったんだろう。ちょっとガクブルする。
右足親指に水疱。6月のパリで塹壕足になった場所のやや上、親指外側でまた水疱が出来ている。左足親指もなんとなく痛い。けれど今回はそれ用のパッドを購入して持参していたので、手当てして寝る。
この夜は、朝までずっと降り続いた。そして、またも夜中に寒さで目が覚める。前夜より更に寒い。次男用には、動き回るからと、封筒型のシュラフを用意したんだけど、そこに潜り込む。結構幅がある。こんなに冷えると解っていれば、ダウンを着て寝るんだったと後悔する。
次男は朝まで熟睡。長男は壁際にくっついて寝てしまい、結露の攻撃を受けたらしく、眠れなかったとぶつぶつ。
土曜、明け方まで激しく降り続いたので、今日は雨合羽を着ての下山を覚悟する。所が、子ども達を起こすほんの2、30分前に、嘘みたいに晴れ上がる。そして今日も快晴。
行動食を食べ、テントを畳み、水を用意してから地獄の帰還が始まる。出発は7時50分と遅かった。
まずは、尾瀬沼を巻いて三平下へ。水面に燧が投影されて眺めがいい。ここまでは、まだ往来する人がそこそこ。三平下から峠へと向かい始めると、時間帯からすれ違う人はほとんどいなくなる。夜行バスやマイカー以外のハイカーが始発でここに辿り着くのは、11時を回ってから。ただそれにしても、すれ違うハイカーは少なかった。
降り続いた雨のせいですこぶる足下が悪い。木道がつるつる滑って何度か転び掛けた。集中力を発揮して歩かないとすぐ転けそうになる。頭より高いザックのルーフは小枝を叩くし、とんでもなく疲れる。
三平峠を越える辺りで、とうとう次男が滑って派手に転ぶ。隣の木道との隙間に見事に填る。幸い身体が引っ掛かって大事に至らず。その後も、沢と化して泥状になった地面に片足を突っ込んで痛い目に遭う。対して長男は、何事もなかったのようにサクサクと先を歩いて行く。
一ノ瀬休憩所への下りで、左足の親指の痛みが増す。これがハイカットのトレッキング・ブーツだと、足首でホールドされて、靴の中で足が滑るという現象は滅多に起きない。所がローカットのハイキングシューズだと、ちょっとでも余裕があると、下りに入ると、常に、足が靴の中で前方へと滑って親指に全荷重が掛かることになる。もう少し靴紐をきつく締めるとかで対処できたのだろうかと、後に自問する。靴下を脱いだら、親指の爪の下が真っ黒。血豆が治るまでまた一年掛かるorz。
峠を降りきった所で、突然視界が拓け、砂利道に出た所で茫然とする。道が左右に分かれているのに、案内板が全くない。地図を見ても、こんな所に分岐があるなんて描いてない。
右手に橋が見えて、なんとなくこれが三平橋だろう、と解るんだけど、あれは駄目でしょう。三平峠からの下りには、他にも、道迷いの原因になりそうな怪しい分岐が何カ所かあった。一ノ瀬休憩所に着いたのが10時前。休憩時間を含めると、ほぼ参考タイムでの下山。
しかし、ここからがまた長い。大清水峠への無粋な砂利道を一時間も歩かされるのは正直辛かった。景色は単調だし、砂利の上を歩くのはしんどいし。せっかく車が入れるのなら、エコカーのシャトルバスでも走らせれば良いのに。
何が良く無いと言って、一ノ瀬から大清水まで4キロ近くもあるのに、休憩できる場所が皆無。せめて一キロ置きにベンチを置くくらいの配慮をすべきよ。丸太を並べるだけで良いんだから。今回、尾瀬を鳩待ちから抜けてみて、要所要所にベンチが置いてあるのは、鳩待ちから山の鼻までの下りルートだけだった。せめてあの半分のエネルギーを、他のルートの整備にも使って欲しい。
* 所で、地図を見ていて気付いたけれど、大清水から中禅寺湖へ抜けられるのね。日光沢温泉とか、秘境の雰囲気があって良さげじゃないですか。ちょっと歩いてみたい誘惑に駆られる(^_^;)。
ここまで来てやっと大清水を発ったハイカーとすれ違い始める。でも、鳩待ちから入るハイカーと比較して、数は1/30以下な感じがする。尾瀬の入山口の平準化というのが昔から試行錯誤されているけれど、なかなか上手くいかないのね。
大清水はマイカーで来られるし駐車場もあるから利便性は良いはずだけど、何が不人気の原因だろう。ここから尾瀬沼往復なら、軽装での日帰りだって出来るのに。
大清水まで来てやっと携帯が復旧。一本早いバスに乗れるかもと思い、ちょっと急いだけれど、そのバスは沼田止まり。売店の人に尋ねたら、沼田から高崎へ本数の無い鈍行で出るより、最初のプラン通り、上毛高原までのバスを待って新幹線で帰った方が早いということなので、そのバスが来るまで1時間のんびりと過ごす。
本当は、もう少し遅い便でも良かったけれど、今日は多摩川花火大会もあるので、夕方までに帰り着きたかった。
帰りのバス。途中で、ファッション雑誌とキャリーバッグを抱えた若い女性が乗ってくる。ブランドもので装備を固めて銀座辺りでも歩いていそう。実家への帰省だろうか。蜂が一匹迷い込んで来て煩い。上毛高原駅に辿り着くまでとうとう出て行かなかった。
しかし上毛高原駅も、夏場は緑に囲まれて綺麗なのね。スキーでの利用経験しか無いから、夏の装いを知らなかった。周囲を散策する時間があれば良かったのにと後悔する。
JRの窓口。お婆さんが粘っていてみんな苛々している。お盆の帰省客が多いので、指定席券を買う。昼飯を食べる時間が無かったので、駅弁を何処かで買おうと思ったけれど、新幹線の中でも売っているだろうとパスしたら、これが東京に着くまでとうとうカートは現れなかった。信じられない! 上高地の松本行きでも同じ目に遭ったけれど、誰も文句を言わないんだろうか? いったいJRの車内販売はどうなっているんだろう。
帰宅して一休みしてから、多摩川花火大会に出撃。たいした怪我もなく帰還できて何より。JRの定時運航と、天気に恵まれたことを感謝する。夢のような三日間だった。
所で、こういう所に来る度に私が思うのは、日本社会のプレゼンテーション力です。どうしても海外と比較してしまう。
イギリスの湖水地方にしても、スイス・アルプスにしても、そこを訪れる人々との接し方には、お国柄が出ます。スイス・アルプスは、イタリア側、フランス側と微妙に雰囲気が違う。
富士山が、自然遺産ではなく文化遺産として世界遺産に登録されたのは、実は象徴的な出来事です。つまりそこには、その自然と関わって来た人々の文化が出るからです。尾瀬にしろ富士山にしろ、そこは日本のショーウインドーです。外から訪ねてきてくれる外国人に、日本人の思想や哲学を知って貰う場所でもあります。ただの自然じゃない。
日本で観光業に従事する人々の数は、全就業者数の7%にも達する。決して少ない数字じゃない。まだまだ伸びる分野です。
その当事者にしてみれば、地域社会の人々は、これ以上観光客に増えて欲しく無い、増して外国人なんて、と思っていたりするでしょう。けれど、製造業が先細りで、一次産業も高齢化が進む日本で、観光業は、まだまだこれから十分伸びる分野です。われわれは常に経済の新陳代謝を心がけ、伸びる可能性がある分野に投資しなければならない。
尾瀬にせよ上高地にせよ、勃興する極東アジアの人々にとって、十分な訴求力を持つコンテンツです。こんな所は、韓国でも中国でもそう探せない。
中国の勃興に伴い、観光客の争奪戦も起こるでしょう。ビジネスを離れた部分でも、われわれはアニメや先端製品だけでなく、これらのコンテンツでも、十分アジアにアピールすることが出来る。
にも関わらず、国は明後日なことをやっているようにしか見えない。尾瀬はもう少し便利になって良い。上高地や乗鞍も道路の改修に集中投資すべきでしょう。松本のアルピコ本社で、上高地行きのバス・チケットを買うのに、カードが使えないというのは言語道断です。今日の今日まで、それが拙いと指摘した地元政治家が居なかったことに絶望します。
いろんな表示や案内の国際化を含めて、われわれにはまだ出来ること、やらなきゃならないことが山ほどある。
日本人は、アピールするのが本当に下手くそな民族ですが、日本人のプレゼンテーション力が試されている。
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